在日台湾人の安藤百福(呉百福)は日本一の大金持ち

日清食品の創業者の生涯を描く「安藤百福(呉百福)の立志伝」の第2話「日本一の大金持ちは在日台湾人の安藤百福(呉百福)」です。

このページは「日清食品の創業者・安藤百福(呉百福)の立志伝」からの続きです。

安藤百福は日本一の大金持ち

日清食品を創業者となる在日台湾人・安藤百福(呉百福)は、戦後、「日本一の大金持ち」と呼ばれるのだが、その理由を説明するためには、これまでの時代背景を理解しなければならい。

明治27年(1952年)の日清戦争に勝利した日本は、中国から台湾の割譲を受け、台湾は日本の領土となった。

このため、台湾人は日本国籍を取得し、大日本帝国の臣民(日本人)となるのだが、日本人を「内地人」、台湾人を「外地人」として明確に区別した。そして台湾人は、大日本帝国の「二等臣民」として日本人から差別された。

また、台湾人は台湾で戸籍を登録しており、台湾固有の妾制度などはそのまま残ったため、日本統治下の台湾で生まれた安藤百福は、台湾時代に正妻の他に妾(第2婦人)と結婚していたのである。

さて、戦後、GHQは、在日外国人を国籍によって、「敵性国民(敗戦国民)」「連合国国民(戦勝国民)」「中立国民」などに分類した。

中国は連合国側だったので、在日中国人は「戦勝国民」となったのだが、在日台湾人と在日韓国人は日本国籍だったため、不安定な立場にあった。

(注釈:朝鮮人は、明治43年の日韓併合により、日本国籍となっていた。)

そこで、GHQは、在日台湾人や在日朝鮮人を「開放人民」として扱うべきだが、必要に応じて「敵性国民(敗戦国民)」として扱うと決定した。

しかし、一部の在日台湾人や在日朝鮮人は、戦勝国民を主張し、武装化して繁華街の焼け跡を不法占拠した。これが闇市である。

これに対して、日本の警察は自治権を主張して、在日台湾人や在日朝鮮人を「第三国人」として取り締まり、日本警察と在日台湾人や在日朝鮮人が衝突し、警察を襲撃するという事件が起きた。

(注釈:戦勝国民には治外法権が与えられており、日本の法律では裁けなかったが、第三国人であれば日本の法律で裁けた。また、「第三国人」という言葉は戦前から使用されており、ここで使用する「第三国人」と言う言葉に差別的な意味は無い。)

有名な事件としては、東京では渋谷署を襲撃する「渋谷事件」が起きており、大阪でも曽根崎署を襲撃する「曽根崎事件」などが起きている。

当時の警察は、武装する在日台湾人や在日朝鮮人に対抗できず、ヤクザ(任侠団体)やMPの手を借りて鎮圧したとされる。

こうした事件が中国に伝わり、中国が国内世論を背景に問題解決に乗り出し、日本・中国・GHQで話し合いが行われた。

その結果、在日台湾人は華僑登録することにより、華僑(中国人)として扱われることになった。

こうして、在日台湾人は華僑登録することで華僑(中国人)となり、法的に不安定な地位から、一転して「戦勝国民(連合国国民)」となり、特別配給など戦勝国民としての様々な特権を得たのである。

一方、在日朝鮮人は、中国人ではないので、華僑登録は出来ず、戦勝国民になれなかったが、戦勝国民を自称した。

さて、戦勝国民となった在日台湾人は、PX(米軍の売店)に入ることができ、PXで購入した物を闇市で売りさばいたり、特別配給品を闇市で売りさばいたりした。

また、米兵は小遣い稼ぎのために在日台湾人に物資を横流しており、在日台湾人はこれを商機と捉えて闇市で台頭していったのである。

さて、安藤百福(呉百福)も、在日台湾人だったので、戦後、華僑登録をして中国籍となり、「戦勝国民(連合国民)」として様々な特権を得た。

そして、安藤百福(呉百福)は、経営していた工場やビルが空襲で全焼していたので、4000万円(現在の価値で数百億円)という保険金を得て、大金持ちとなり、「日本一の金持ち」と称された。

また、安藤百福(呉百福)は、久原財閥(日立財閥)の創始者・久原房之助の助言により、大阪の一等地を購入した。日本人は生活のために土地を安く手放しており、安藤百福は二束三文の捨て値で大阪の一等地を手に入れ、莫大な資産を築いた。

こうして戦後の在日台湾人は、日本人が「新円切り換え」「預金封鎖」「財産税」で苦しむなか、闇市などで台頭した。当時発行されていた新円の3分の1は在日台湾人が持っていたと言われるほどの勢いだった。

そして、戦後の混乱期に1億円以上の資産を持つ億万長者が何人か誕生するのだが、そのほとんどは在日華僑(中国人と台湾人)で、その億万長者の1人が安藤百福だったという。

安藤百福(呉百福)が大阪の一等地を持ち続けていれば、チキンラーメンやカップヌードルではなく、不動産王として巨万の富を築いていたと言われるほどである。

ところで、安藤百福(呉百福)の故郷・台湾の方は終戦を迎えてどうなったかというと、台湾は日本軍が引き上げた後、中国に接収され、中国軍が乗り込んできたが、中国軍のせいで治安が悪化して事件が増えた。

このため、台湾人は「犬が去って豚が来た」と言って嘆いた。「犬が去って豚が来た」とは、「犬(日本)は吠えたが、守ってくれた。豚(中国)は食い荒らすだけだ。豚(中国)より犬(日本)の方が良かった」という意味である。

日清食品の創業者・安藤百福が田中龍夫を支援」へ続く。

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