坂野惇子がベビーショップ・モトヤ(ファミリア)を開業

朝ドラ「べっぴんさん」のモデルとなる坂野惇子(佐々木惇子)の生涯を描いた「べっぴんさん-坂野惇子の立志伝」の第17話「坂野惇子の立志伝-ベビーショップ・モトヤ(ファミリア)の開業」です。

このページは「べっぴんさん-坂野惇子の立志伝」の第17話です。これより前の話は、目次「べっぴんさん-坂野惇子の立志伝」からご覧ください

ベビーショップ・モトヤのオープン

1948年(昭和23年)12月4日にベビーショップ・モトヤ(ファミリアの前身)がオープンすると、田村光子は兵庫県神戸市東灘区岡本の自宅にミシンやアイロン台を置き、縫製の責任者となった。

田村枝津子(田村江つ子)は妊娠中だったので自宅で手芸と編み物を担当し、甲南高等女学校(甲南女子大学)時代からの友達・不破孝子が妊娠している田村枝津子(田村江つ子)の助手を務めた。

坂野惇子は仕入れと販売の責任者となり、毎朝、娘・坂野光子を幼稚園に送った後、兵庫県神戸市東灘区岡本にある田村光子へ立ち寄って商品を受け取り、ベビーショップ・モトヤへ出勤して、夜の8時~9時ごろまで頑張って販売した。

その代わり、坂野惇子は子供が小さいので、日曜日は仕事を休み、日曜日は坂野惇子の代わりに、子供の大きい田村光子や、子供の居ない村井ミヨ子(中井ミヨ子)や、独身の不破孝子がベビーショップ・モトヤで販売を担当した。

村井ミヨ子(中井ミヨ子)は病弱だったので、週に3~4回、朝10時から夕方4時まで勤務し、主にベビーショップ・モトヤで販売や雑用を担当した。

そして、5時になると、夫・村井完一が迎えに来て、「ミヨ子はもう寝る時間なので」と言って村井ミヨ子(中井ミヨ子)を連れて帰った。これは後々までファミリアの笑いぐさとなった。

さて、坂野惇子らはバザーでしか物を売ったことがないので、自分たちの手芸品が売れるか不安でいっぱいだったが、そんな不安とは裏腹に、ベビーショップ・モトヤのオープン初日から、大反響だった。

坂野惇子らは3ヶ月かけて20万円分の商品を用意しており、オープン初日だけで4万円分の商品が売れたのである。

今でこそメイド・イン・ジャパンと言えば、高品質の代名詞だが、このころの日本製品は粗悪品の代名詞で、闇市には粗悪品が横行しており、衣類であれば、綿100%なら何でも売れたという時代だった。

そんな時代に、坂野惇子らは、戦前から貯めていた外国製の高級な毛糸や生地を使用し、手間暇を掛けて作った特別な商品(べっぴんさん)を販売していたのである。

毛糸や生地だけでも価値があるのに、生地を水につけて縮ませてからアイロンで生地をのばすという「ジノシ」という手間のかかる作業を必ずしていたので、ベビーショップ・モトヤの商品は洗っても縮まず、色落ちもしないので、直ぐに噂は広まり、オープン3日目で早くもショーケースが寂しくなった。

兵庫県神戸市東灘区岡本にある田村光子の自宅では、懸命に商品作りが続けられていたが、商品をショーケースに並べた側から売れていくので、製造が追いつかない。

坂野惇子は客の前で刺繍を仕上げ、村井ミヨ子(中井ミヨ子)も販売の傍らで編み物に励んだが、作るよりも売れる方が早く、ショーケースは直ぐにガラガラになってしまうのであった。第18話に続く。

坂野惇子の立志伝の第18話は、目次「べっぴんさん-坂野惇子の立志伝」から選んでください。

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