ファミリア創業者・坂野惇子と岡崎財閥・岡崎晴彦の家系図

朝ドラ「べっぴさん」のモデルで、皇室御用達の子供服ブランド「ファミリア」を創業した坂野惇子と岡崎財閥の家系図と子供や子孫について。

坂野惇子と岡崎晴彦の家系図

坂野惇子(佐々木惇子)の家系

坂野惇子の実家・佐々木家は、滋賀県の近江源氏の流れを汲む鎌倉時代の武将・佐々木高綱(源頼朝の側近)を祖とする名家で、代々、商家を営む豪商であった。

そして、佐々木家の12代目当主・佐々木八十八が大阪に出て、唐物問屋「佐々木営業部」(現在の東証1部上場のレナウン)を創業して成功し、政界・財界で立志伝を成し遂げた。

坂野惇子は佐々木八十八の三女として生まれ、何不自由ない暮しをしていたが、戦争で全てを失い、家計を助けるために洋裁の仕事を始め、親友の田村江つ子(榎並江つ子)田村光子と共に子供服ブランド「ファミリア」を創業した。

夫・坂野通夫の家系

夫・坂野通夫の家系・坂野家は、愛知県蒲郡市柏原町坂野の出身とされ、尾張藩の藩士であった。坂野通夫の祖父・坂野信一郎は尾張藩でも身分が低かったというので、尾張藩の下級藩士だったようである。

坂野通夫の父・坂野兼通の代で明治維新を迎え、父・坂野兼通は三菱合資銀行部(三菱銀行)に就職。三菱合資銀行部(三菱銀行)の大阪支店長時代に、町田忠治に招かれて山口財閥の山口銀行(三和銀行)へと移り、山口銀行の総理事を務め、大阪銀行界の重鎮として君臨した。

父・坂野兼通は創業者ではないので知名度は低いが、家1軒が1000円で買えた時代に、半期のボーナスが2万円だったというので、坂野家は相当な富豪であった。

坂野通夫は、父・坂野兼通の7男2女の末息子として生まれ、戦後は佐々木営業部(レナウン)で働いていたが、ファミリアの創業初期の混乱で社長への就任を要請され、ファミリアの2代目社長に就任する。

坂野惇子と坂野通夫の子供

坂野惇子と坂野通夫が結婚する経緯は「坂野惇子(佐々木惇子)が坂野通夫と結婚」で紹介しているので、そちらを参照してもらうとして、坂野惇子と坂野通夫が結婚して、2人の間に長女・坂野光子が生まれた。

坂野惇子と坂野通夫の子供は、長女・坂野光子だけで、この長女・坂野光子が岡崎財閥の岡崎晴彦と結婚し、岡崎光子となる。

なお、岡崎晴彦は、「華麗なる一族」といて有名な神戸・岡崎財閥の岡崎忠の長男だが、戦後の財閥解体により、岡崎財閥は解体され、消滅している。

坂野惇子(佐々木惇子)と坂野通夫の孫

岡崎晴彦と岡崎光子(佐々木光子)の間に、長男・岡崎忠彦、長女・岡崎ミサ、次男・坂野雅(岡崎雅)という3人の子供が生まれた。

そして、長男の岡崎忠彦が岡崎晴彦の死後、ファミリアの社長に就任した。

次男・坂野雅(岡崎雅)は、ファミリアを見いだしてくれた阪急百貨店の初代社長・清水雅から名前を拝領して名付けられた。

また、坂野惇子と坂野通夫は、子供が岡崎光子(坂野光子)だけだったので、坂野姓を継ぐ者が居なかったが、どうしても坂野の名前を残したいと思っており、その意を受け、孫の坂野雅(岡崎雅)が坂野姓を継いだ。

なお、さらに詳細を知りたい方は「べっぴんさんのモデル-坂野惇子の生涯」をご覧ください。

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