すみれの花咲く頃

朝ドラ「べっぴんさん」のモデルとなる坂野惇子の立志伝を描いた「べっぴんさん-坂野惇子の立志伝」の第9話「べっぴんさん-すみれの花咲く頃」です。

このページは立志伝の第9話です。これより前の話は、目次「べっぴんさん-坂野惇子の立志伝」から選んでください。

べっぴんさん-すみれの花咲く頃

戦後、岡山県勝山に疎開していた坂野惇子は、父・佐々木八十八の元に身を寄せて働くことを決意しながらも、戦争に取られ、音信不通となっていた夫・坂野通夫の身を案じていた。

そのようななか、坂野惇子の願いが通じたのか、朗報が届いた。

夫・坂野通夫の勤め先の大阪商船(商船三井)から「すみれ丸でほどなく帰国」という知らせが届いたのである。

さらに、夫・坂野通夫からも、「すみれの花が咲く頃、帰れそうだ」という葉書が届いた。

坂野惇子はこの葉書を見て「すみれの花咲く頃」という歌を思い出した。

「すみれの花咲く頃」というのは、宝塚少女歌劇団を代表する曲で、坂野惇子と夫・坂野通夫の思い出の曲であった。

「すみれの花咲く頃」は、昭和5年(1930年)8月の月組公演のレビュー(レヴュウ)「パリ・ゼット」で、初めて使用された。

この昭和5年(1930年)8月公演の「パリ・ゼット」では、姉の天津乙女(鳥居栄子)がプロローグを務め、妹の雲野かよ子(鳥居華子)がロロットを務めた名作である。

苦労続きだった坂野惇子は、「すみれの花が咲く頃、帰れそうだ」という葉書を見て、宝塚の「すみれの花咲く頃」を思い出しながら、ようやく心を落ち着かせることが出来た。

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べっぴんさん-すみれ咲く

やがて、山々の雪が溶け、疎開先の岡山県勝山にも、すみれの咲く季節がやってきた。

坂野通夫を乗せた大阪商船(商船三井)「すみれ丸」は、昭和21年(1946年)4月に広島県の大竹港へ帰国。その後、神戸港へと入り、坂野通夫は芦屋の兄の家で、2年半振りに坂野惇子と再会することができた。

坂野通夫はジャカルタで終戦を迎えて抑留生活を送り、その後、英語が出来たので英国海軍の命令で連絡将校を命じられ、オランダ人の引き揚げ船となった「すみれ丸」で6ヶ月間、引き上げ作業に従事していたので、オランダ将校の立派なグリーンの制服を着ており、みんなを驚かせた。

しかし、立派なのは服だけで、ながらく小さな船に乗っていたため、坂野通夫は栄養失調で痩せこけていた。

田村枝津子・田村寛次郎との再会

芦屋の兄の家で再会を果たした坂野惇子と坂野通夫は、翌日、親しくしている田村家を訪れ、親友の田村江つ子(榎並江つ子)とその夫・田村寛次郎と再会する。

田村枝津子(田村江つ子)は、芦屋の自宅を空襲で失っていたが、早くから早くから2人の子供連れて有馬に疎開していたので、命には別状はなく、戦後は芦屋へと戻り、海岸沿いの浜芦屋に家を借りて、出征中の夫・田村寛次郎の帰りを待っていた。

そして、ちょうど、坂野通夫が「すみれ丸」で帰国した少し前に、田村枝津子(田村江つ子)の夫・田村寛次郎も復員して、中支(中国の中部)から帰国していた。

坂野惇子と田村枝津子(田村江つ子)は甲南高等女学校からの親友だった。

また、坂野通夫と田村寛次郎も中学・高校・大学の同窓生(田村寛次郎が先輩)という関係だったので、坂野家と田村家は家族ぐるみで親しくしており、4人は再会と無事を喜び合った。

第9話は、目次「べっぴんさん-坂野惇子の立志伝」から、選んでください。

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