まんぷく-土井垣隆三(奥田瑛二)のモデル

NHKの朝ドラ「まんぷく」に登場する土井垣隆三(どいがき・りゅうぞう/奥田瑛二)の実話のモデルを紹介します。

まんぷく-土井垣隆三(奥田瑛二)

朝ドラ「まんぷく」に登場する土井垣隆三(奥田瑛二)は、元食糧庁長官の衆議院議員で、世良勝夫(桐谷健太)に頼まれて、立花萬平(長谷川博己)の相談に乗る。

立花萬平(長谷川博己)は、市場に氾濫している粗悪な即席ラーメンをなくすため、低価格で「まんぷくラーメン」の特許を開放しようとしたが、誰も立花萬平(長谷川博己)の傘下に入ろうとしないので、行き詰まっていた。

そこで、土井垣隆三(奥田瑛二)は、即席ラーメンの協会を作り、協会の加盟者に「まんぷくラーメン」の特許を無料で開放すればいいと助言した。

無料で特許を開放すれば、立花萬平(長谷川博己)は1円の儲けにもならいが、立花萬平(長谷川博己)は土井垣隆三(奥田瑛二)の提案を受けた。

そして、立花萬平(長谷川博己)は、土井垣隆三(奥田瑛二)の後押しを受けて「日本即席ラーメンエ業協会」を設立し、その理事長に就任した。

こうして、即席ラーメン業界を1つにまとめ上げ、粗悪品を追放すると、立花萬平(長谷川博己)は、池田信用組合の理事長時代に住んでいた家へと引っ越すのだった。

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まんぷく-土井垣隆三(奥田瑛二)のモデル

NHKの朝ドラ「まんぷく」に登場する土井垣隆三(奥田瑛二)のモデルは、食糧庁です
。個人名が出ている資料は無かったので、実話を紹介しておきます。

昭和34年(1959年)に日清食品の安藤百福(呉百福)が発売した即席麺「チキンラーメン」が爆発的な売れ行きを見せると、続々と即席麺に参入する業者が現れた。

そのようななか、即席麺「鶏糸麺」の特許を持つ大和通商の陳栄泰が、昭和35年(1960年)9月に各社に特許侵害を警告し、ロイヤリティーの支払いを求めた。

これを切っ掛けに、日清食品の安藤百福(呉百福)なども特許を主張して対抗し、泥沼の特許紛争が起き、この特許争いは長引いた。

(泥沼の特許紛争は複雑なので、ここでは省略しますが、興味のある人は「安藤百福とインスタントラーメンの特許紛争」をご覧ください。)

昭和38年(1963年)2月ごろから、原材料などを扱う大企業が、即席ラーメン業界の特許紛争を収めるために、仲裁に乗り出した。

さらに、昭和38年の半ば頃から、食糧庁も、即席麺は爆発的に需要を伸ばしており、国民食へと発展しようちしていたことから、業界の一本化を勧告し、即席麺業界に対して、行政指導などを行っていた。

そして、食糧庁が「双方の特許を尊重することとし、特許使用の許諾は全国1本の協会に委託し、使用許諾は協会を通じて契約するように」と勧告した。

これを受けて、昭和38年9月に日清食品(安藤百福)と大和通商(陳栄泰)が和解。さらに、日清食品(安藤百福)はエースコックともして、昭和39年(1964年)に業界団体の設立に向けて動き出した。

しかし、各地の即席麺業者は、特許の独占を恐れて、業界団体には加わらず、各地で団体を発足し、日清食品(安藤百福)に抵抗した。

このため、日清食品(安藤百福)は、業界団体から特許問題を切り離すことを余儀なくされ、昭和39年(1984年)5月に特許管理団体「日本ラーメン特許」を設立して、特許を「日本ラーメン特許」に移した。

こうして、昭和39年6月に、特許とは関係の無い即席ラーメンの業界団体「日本ラーメン工業協会」(全国の有力メーカー56社が加盟)を設立し、日清食品の安藤百福(呉百福)が理事長に就任したのだった。

なお、朝ドラ「まんぷく」の各モデルについては「まんぷく-実在のモデル一覧」をご覧ください。

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