べっぴんさん-キアリス映画のモデルはファミリアの「あしたのママ」

朝ドラ「べっぴんさん」でキアリスが撮影する映画「ようこそ赤ちゃん」のモデルはファミリアの映画「あしたのママ」です。

べっぴんさん-キアリスの映画「ようこそ赤ちゃん」

坂東さくら(井頭愛海)村田健太郎(古川雄輝)が結婚し、2人の間に娘・村田藍(渡邉このみ)が生まれた。

このようななか、一世を風靡したファッションブランド「エイス」が、会社更生法を申請して倒産した。

原因は、一流商社「KADOSHO(カドショー)」の社長・古門充信(西岡徳馬)がエイスから資金を引きあげたからだった。

しかし、キアリスの次世代を担う村田健太郎(古川雄輝)は、KADOSHOの社長・古門充信(西岡徳馬)に洗脳され、業績拡大のスピードを重視した拡大路線をとり、次々にキアリスの改革を行っていた。

このようななか、田中紀夫(永山絢斗)は、出産祝いでもらった8ミリビデオで孫・村田藍(渡邉このみ)を撮影し、キアリスで上映した。

キアリスの拡大路線に疑問を感じる坂東すみれ(芳根京子)は、坂東紀夫(永山絢斗)が撮影した孫・村田藍(渡邉このみ)の沐浴シーンを見て、キアリスの原点は小野明美(谷村美月)の西洋式育児法だったことを思い出し、キアリスの原点を映画にして、次世代のキアリスに贈ることを思いついた。

多田良子(百田夏菜子)の息子・小澤龍一(森永悠希)は、世界中を流浪していたとき、アメリカで映画制作に精通したカメラマン亀田(上地雄輔)と知り合っていた。

このカメラマン亀田(上地雄輔)が日本に帰国して大阪の映画制作会社で働いていたので、小澤龍一(森永悠希)がカメラマン亀田(上地雄輔)を紹介してくれ、キアリス映画制作の話しが進んでいった。

さて、キアリスは、以前に育児本「キアリスガイド」を制作しており、小野明美(谷村美月)にキアリスガイドを現代風にアレンジした脚本を書いてもらった。

エイスの倒産後、オライオンの紳士服に誘われて「男の着こなし講座」で復活した岩佐栄輔(松下優也)も撮影に協力してくれた。

そして、主演・村田藍(渡邉このみ)、監督・坂東紀夫(永山絢斗)、カメラマン・亀田(上地雄輔)で映画撮影が行われた。

板東すみれ(芳根京子)は、村田健太郎(古川雄輝)が子供の頃に着ていた子供服を映画撮影に使っており、何かを思いついて、村田健太郎(古川雄輝)を撮影現場に呼んだ。

撮影現場に来た村田健太郎(古川雄輝)は、自分が子供の時に来ていた服が撮影に使われているのに気づいた。

そこで、板東すみれ(芳根京子)は「当時は子供服なんて売っていなかった。みんな自分たちで子供服を作った。服を売る事を考えていたなら、今のキアリスは無かった」と言い、キアリスの原点について教えた。

さて、赤ちゃんの扱いに慣れていない男性陣に対して、小野明美(谷村美月)が厳しくダメ出したので、撮影は難航したが、良い映画が完成し、板東すみれ(芳根京子)が映画のタイトルを「ようこそ赤ちゃん」と名付けた。

そして、坂東すみれ(芳根京子)は、上映後のスピーチで「キアリスは、赤ちゃんとお母さんのためのもの」「育児に不安を覚えるお母さんの拠り所」と話した。

こうして、キアリスの原点を知った村田健太郎(古川雄輝)は、古門充信(西岡徳馬)の洗脳から目覚めてキアリスの拡大路線を止め、廃止した育児相談も復活し、従来のキアリス路線へと戻した。

ところが、KADOSHO(カドショー)の社長・古門充信(西岡徳馬)の触手は、子供百貨店を作る事を夢見ていた板東すみれ(芳根京子)に伸びるのであった。

実話-ファミリアの映画「あしたのママ」

朝ドラ「べっぴんさん」でキアリスが制作する映画「ようこそ赤ちゃん」のモデルは、ファミリアが制作した30分ほどの育児映画「あしたのママ」です。

そもそも、坂野惇子は、レナウンの創業者・佐々木八十八の三女なので、莫大な預金があったが、戦後の預金封鎖で預金が引き出せなくなり、戦後の苦しい生活をどうにかするために、仲間を誘って手芸店を開くことにした。

しかし、夫・坂野通夫の助言もあり、ベビーナース大ヶ瀬久子から学んだ西洋式の育児を活かしたベビー用品店を開くことにして、モトヤ靴店のショーケース2台を借りて「ベビーショップ・モトヤ」を開いた。

ところが、「ベビーショップ・モトヤ」を開いた頃には、預金封鎖の一部が解除され、さらには、レナウン・サービス・ステーションを譲り受けて「ファミリア」を設立した頃には預金封鎖は完全に解除されたため、お金持ちの坂野惇子は働く必要が無くなっていたのである。

しかも、この頃は女性が繊維業界で働く事は、女工哀史という史観から、坂野惇子は仕事をすることにより、軽蔑・差別され、非常に苦労し、娘の坂野光子にも迷惑を掛けていた。

それでも、坂野惇子は、西洋式の育児法を普及させることが大事だと考え、ファミリアの設立に至り、ベビー服を作り続けたのである。

さて、ファミリアが映画「あしたのママ」を制作したのは、昭和47年(1972年)のことである。

昭和47年(1972年)というのは、ファミリアがスヌーピーの縫いぐるみの販売を開始してから2年後、つまり、万国博覧会の2年後である。

朝ドラ「べっぴんさん」では、ベビーナース小野明美(谷村美月)はキアリスの創業に加わっているが、モデルとなったベビーナース大ヶ瀬久子はファミリアの創業には参加していない。

モデルとなった大ヶ瀬久子は、戦後もベビーナースとして活躍し、退職後、坂野惇子に招かれてファミリアのベビーコンサルタントに就任した。

大ヶ瀬久子の育児知識は、坂野惇子が「育児においては国宝級」と絶賛するほどで、小児科の医師も院外での子供の扱い方について質問に来る程だった。

そこで、坂野惇子は、社員の教育用に大ヶ瀬久子の育児知識を映画にする事を企画した。

撮影用のライトは赤ちゃんには刺激が強すぎるのではないか、など、様々な問題があったが、最終的に、子育てに不安を覚えるママのためにということで、映画の撮影に踏み切った。

主演は大ヶ瀬久子で、出演する赤ちゃんは社員の長女・井上洋子(3ヶ月)。撮影は毎日映画社が担当し、昭和47年(1972年97月に、千里阪急ホテルを3室借りて撮影が行われた。

通常なら3分で終わる入浴に対し、カメラマンの注文が多いため、3分では入浴シーンが撮影できず、赤ちゃんの体調を第一に考える大ヶ瀬久子は「これ以上お湯に入れたらゆだってしまいますよ」と承知せず、撮影は翌日に持ち越された。

また、赤ちゃんは起きている時間が短く、目覚めのシーンなどでNGが出ても簡単に取り直すことができず、撮影は赤ちゃんに振り回されて相当な苦労をした。

編集もシーンをつなぎ合わせるのが大変だったが、30分ほどの育児映画「あしたのママ」が完成し、ファミリアの育児映画「あしたのママ」は各方面から申し込みが殺到して好評を得た。

また、このとき、大ヶ瀬久子は「1歳までの育児」という育児本を出版し、育児本「1歳までの育児」も好評だった。

ところで、坂野惇子らが映画撮影で苦労しているとき、映画撮影の苦労など知らないファミリアの社員たちは、「専務(坂野惇子)と室長(田村泰)がホテルの一室で入浴シーンのヌード撮影に熱中」などと言って楽しんでいましたのであった。

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