坂野通夫がファミリアの社長に就任した理由

朝ドラ「べっぴんさん」のモデルとなる坂野惇子(佐々木惇子)の生涯を描いた「べっぴんさん-坂野惇子の立志伝」の第28話「坂野通夫がファミリアの社長に就任した理由」です。

これより前の話は、目次「べっぴんさん-坂野惇子の立志伝の目次」からご覧ください。

坂野通夫がファミリアの2代目社長に就任

田村陽(飯田陽)の辞任とファミリアの不正会計事件」や「田村駒の粉飾決算と倒産の危機-ァミリアの坂野惇子が社長を拒否」で紹介したように、ファミリアの設立初期に役員の辞任や不正会計問題による混乱期があった。

こうした混乱を受けて、ファミリアの初代社長・元田蓮が辞意を漏らしたため、次期社長について、話し合いが行われた。

ファミリア全体を熟知している坂野惇子が社長に適任であったが、坂野惇子は専務という肩書きだけでも重荷に感じていたため、「会社のトップである社長は男性がなるべき」と言い、頑として社長を拒否した。

坂野惇子は信頼していた会計に裏切られてファミリアで不正会計事件が発生しており、ファミリアは坂野惇子ら女性の手に負えなくなっていた。

このため、坂野通夫田村寛次郎田村陽(飯田陽)の3人は、話し合いの結果、会社を大きくしていく事を考えれば、坂野惇子が言うように、男性が社長になった方が良いという決断を下した。

しかし、このころ、田村家の田村寛次郎と田村陽(飯田陽)は、繊維商社「田村駒」の要職にあった。しかも、田村駒は倒産の危機に直面していたため、ファミリアの社長を引き受ける余裕などなかった。

このため、最年少の坂野通夫が、田村家の田村寛次郎と田村陽(飯田陽)から懇願される形で、ファミリアの社長を引き受けた。

尾上清への報告

さて、坂野通夫はファミリアの社長を引き受けたが、このとき、佐々木営業部(レナウン)に就職していたので、佐々木営業部の社長・尾上清にファミリアへの転職を相談した。いや、相談と言うよりも報告だった。

尾上清は、坂野惇子のファミリア設立に協力してくれ、ファミリアの株主にもなってくれていた恩人だが、「いくら、ファミリアが良い会社だと言っても、捕鯨船からキャッチボートに乗るようなものだ」と言い、坂野通夫のファミリア行きを反対した。

しかし、坂野通夫は「規模は小さくても、性能が良い物は良いんじゃないでしょうか。軍艦でも、艦歴が古くても標的にされることがあります。小さくても性能の良い船を、自分の手で動かしてみたくなったのです」と言って堅い意思を示した。

思えば、父・坂野兼通も、三菱合資銀行部(三菱銀行→三菱東京UFJ銀行)の大阪支店長から、個人銀行の山口銀行(三和銀行→三菱東京UFJ銀行)へと移って立志伝を成し遂げた。これもまた運命かもしれない。

さて、坂野通夫の堅い決意を知った尾上清は驚いた。

尾上清の父・尾上設蔵は、佐々木八十八に見いだされて佐々木営業部(レナウン)の支配人に抜擢された人物で、尾上清は親子2代にわたり佐々木八十八の世話になっていたため、親子揃って佐々木八十八に感謝していた。

このため、尾上清は、佐々木営業部(レナウン)は佐々木家からの預かり物と公言しており、行く行くは佐々木八十八の娘婿である坂野通夫に佐々木営業部(レナウン)を任せようと考えていた。

だから、坂野通夫を手放すわけにはいかないのだ。

尾上清は、坂野夫婦を何度も自宅に招いて説得したが、坂野通夫の意思は変わらなかった。

そこで、遂に根負けした尾上清は、佐々木営業部(レナウン)からの出向という形にして、いつでも戻って来られるように、席を空けておくと言い、坂野通夫をファミリアへと送り出したのである。

坂野通夫がファミリアの取締役に就任

こうして、坂野通夫は佐々木営業部(レナウン)からの出向という形で、昭和27年(1952年)10月にファミリアの取締役に就任した。

初代社長を務めてくれた元田蓮は、翌年の昭和28年(1953年)5月に社長を辞任したが、その後も引き続き、ファミリアの急所となっていた監査役を務めてくれた。

さて、坂野通夫はファミリアの社長に就任するため、坂野惇子のファミリアに入社した。

ところが、坂野通夫は、ファミリアの業務全体を把握してから社長に就任しようと考えたので、初代社長・元田蓮が社長を辞任しても、社長に就任せず、取締役のままファミリアの改革を始めた。

このため、初代社長・元田蓮が社長を辞任した後、ファミリアはしばらく社長不在の期間が続くことになる。

頓部徳光と谷本三治がファミリアに入社

さて、坂野通夫の父・坂野兼通は、三菱合資銀行部(三菱銀行→三菱東京UFJ銀行)にの大阪支店長を務めたとき、三菱合資銀行部・神戸支店の開設に尽力していた。

こうした関係から、ファミリアの不正会計問題を見かねた三菱銀行・神戸支店長の田実渉が、頓部徳光を会計として推薦してくれ、頓部徳光がファミリに入社した。

頓部徳光はアミリアの庶務と会計を担当してくれたが、肺がんで倒れ、坂野夫婦の懸命な介護もむなしく、昭和28年(1953年)に死去してしまう。

坂野夫婦は頓部徳光を献身的に看病し、丁重に弔ったので、三菱銀行・神戸支店長の田実渉はファミリアに感謝し、頓部徳光の後任として谷本三治を推薦してくれ、谷本三治がファミリアに入社した。

坂野惇子の立志伝-第29話は、目次「べっぴんさん-坂野惇子の立志伝の目次」から選んでください。

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