田村陽(飯田陽)の辞任とファミリアの不正会計事件

朝ドラ「べっぴんさん」のモデルとなる坂野惇子(佐々木惇子)の生涯を描いた「べっぴんさん-坂野惇子の立志伝」の第26話「田村陽(飯田陽)の辞任とファミリアの不正会計事件」です。

これより前の話は、目次「べっぴんさん-坂野惇子の立志伝」からご覧ください。

田村駒とカチャ万景気

第12話「田村駒の田村駒治郎を逮捕!田村寛次郎の立志伝」で紹介したように、戦後、繊維問屋「田村駒」の2代目・田村駒治郎が隠退蔵物資事件で逮捕され、その責任を内外に示すため、2代目・田村駒治郎は繊維問屋「田村駒」の社長を辞任した。

さらに、田村駒は特別経理会社に指定されて厳しい時期を迎えたが、田村寛次郎が社長代行として、らつ腕を振るい、戦後の厳しい時期を乗りきった。

その後、隠退蔵物資事件の無罪が確定し、2代目・田村駒治郎の公職追放も解除されたので、2代目・田村駒治郎が昭和24年(1949年)9月19日に田村駒の社長に復帰。翌10月には特別経理会社も解除された。

そして、翌年の昭和25年(1950年)6月に朝鮮戦争が勃発し、日本の繊維業界は「ガチャマン景気」と呼ばれる空前の好景気を迎えた。

繊維業界は機織り気を1度、ガチャッと動かすと1万円が儲かるため、この好景気は「ガチャマン景気」と呼ばれた。また、繊維業界の好景気なので「糸へん景気」とも呼ばれた。

ファミリア設立初期の混乱

さて、坂野惇子は昭和25年(1950年)4月に子供服ブランド「ファミリア」を設立したが、早々に役員が辞任したほか、不正会計の発覚により、混乱期を迎えることになる。

坂野惇子がファミリアを設立した2ヶ月後の昭和25年(1950年)6月に朝鮮戦争が勃発。繊維業界が「ガチャマン景気」で賑わうなか、田村光子の夫・田村陽(飯田陽)が昭和25年7月に繊維問屋「田村駒」の監査役に就任する。

田村陽(飯田陽)は、ファミリアの設立時から、ファミリアの監査役を務めてくれていたが、田村駒の監査役に就任したため、ファミリアの監査役を兼任できなくなり、同年8月にファミリアの監査を辞任した。

また、ファミリアの店舗3分の1を引き受けてくれ、ファミリアの取締役を務めてくれていた川村商店の川村睦夫も、坂野惇子らが自分たちの好みの生地を仕入れるようになったので、本業の川村商店に専念するため、ファミリアの取締役を辞任した。

こうした相次ぐ役員の辞任を受け、ファミリアの取締役・田村光子が監査役に就任したが、その後、取締役の田村枝津子(田村江つ子)が監査役に就任し、田村光子は取締役へと戻るなど、ファミリアの設立初期に役員異動による混乱が起きた。

ファミリアの不正会計事件

さて、坂野惇子のファミリアは、設立初期の役員異動や阪急百貨店への進出など目まぐるしく状況が動いていた。そのようななか、ファミリアで不正会計が発覚する。

ファミリアの坂野惇子らは数字に弱かったので、会計だけは担当者を置き、正式な記帳や決算については田村駒の経理・酒井幸治郎が週1回、ファミリアに立ち寄って会計を指導していた。

ところが、ファミリアの売り上げに対してあまりにも利益が少ないので、帳簿を調べ直してみると、信頼していた会計に裏切られていた事が判明したのである。

こうしたファミリアの役員異動による混乱や不正会計事件を受け、ファミリアの初代社長・元田蓮が辞意を漏らしたため、坂野通夫がファミリアの社長に就任することになるのであった。

坂野惇子の立志伝-第27話は、目次「べっぴんさん-坂野惇子の立志伝」から選んでください。