坂野通夫の社長就任とファミリアが数寄屋橋阪急へ出店

朝ドラ「べっぴんさん」のモデルとなる坂野惇子(佐々木惇子)の生涯を描いた「べっぴんさん-坂野惇子の立志伝」の第35話「坂野通夫の社長就任とファミリアが数寄屋橋阪急へ出店」です。

これより前の話は、目次「べっぴんさん-坂野惇子の立志伝の目次」からご覧ください。

清水雅からの東京出店要請

坂野惇子(佐々木惇子)ファミリアは、昭和29年(1954年)に東京の高島屋と伊勢丹で子供服展を成功させて東京進出を成功させており、東京でもファミリアの出店を望む声が増えていた。

そのようななか、阪急百貨店は東芝の数寄屋橋ビル(マツダビル)を借りて数寄屋橋阪急を出店することが決まり、ファミリアは阪急百貨店の社長・清水雅から、数寄屋橋阪急への出店を要請された。

しかも、1階フロアのほとんどをファミリアに任せたいという破格の依頼である。

非常に光栄な依頼だったが、ファミリアは手間暇を掛けて商品を作っていたので、製造が追いつかないということもあり、1階フロアの大半という打診は丁重に断り、東側の一角を請け負い、東京出店を決めた。

坂野通夫の社長就任

さて、坂野通夫は、ファミリア設立初期の混乱期に、坂野惇子や田村寛次郎に懇願される形でファミリアの社長を引き受け、昭和27年(1952年)10月にファミリアに入社し、取締役に就任した。

しかし、坂野通夫は、ファミリア全体を把握してから社長に就任するという考えを持っていたので、社長には就任せず、取締役のままファミリアの改革に尽力した。

このため、ファミリアはながらく、社長不在期間が続いていた。

しかし、数寄屋橋阪急への出店を期に坂野通夫は社長への就任を決意し、昭和31年(1956年)5年にファミリアの2代目社長に就任。ファミリアはようやく社長不在期間を終えた。

前代未聞の突貫工事

さて、東芝の数寄屋ビル(マツダビル)は昭和31年(1956年)5月21日に正式に接収解除され、阪急百貨店は5月23日に東芝と正式な賃貸契約を結び、その日の夜から、清水建設が内装工事を始めた。

既に数寄屋橋阪急がオープンは、6日後の昭和31年(1956年)5月29日と決まっており、清水建設は昼夜を問わず、工事を行い、何とか完成に漕ぎ着けました。

これは、清水建設が「本来なら2ヶ月の工事です」と驚くほど、前代未聞の突貫工事だった。

一方、ファミリアも数寄屋橋阪急への出店が正式に決定したのも、東芝の数寄屋ビル(マツダビル)が正式に接収解除となった昭和31年5月21日で、オープンの準備期間はわずか1週間しかなかった。

とにもかくにも、坂野惇子は今年4月に入社したばりの下岡祥浩をファミリア東京店の店長に抜擢し、下岡祥浩と山本豊子を率いて上京した。

続いて、坂野通夫が、田村枝津子(田村江つ子)田村光子村井ミヨ子を率いて第2陣として上京した。

こうして、ファミリアは、数寄屋橋阪急の内装工事が行われているなか、急ピッチで開店準備を始めた。

数寄屋橋阪急への出店

昭和31年(1956年)5月29日に数寄屋橋阪急がオープンした。ファミリアもなんとか間に合わせ東京店をオープンしたが、あまりにも準備期間が短すぎたので、ダイレクトメールも送れず、初日も2日目もあまり売れなかった。

東京の高島屋・伊勢丹で開催した過去2回の子供服展が大反響だっただけに、坂野惇子は落ち込んだ。

坂野通夫は、そんな坂野惇子を「前回2回の催し物がよかったと言っても、あれは催し物で、今回はダイレクトメールも出していないし、常設の売り場なのだから、お客様は急いできてくださらなくて当たり前だよ。良い商品であれば、お母さんはきっと選んでくださるよ」と言って励ました。

ある日、関西から引っ越してきたという婦人が来店し、「探すのに苦労したんですよ。東京の百貨店には置いてないっていうでしょ。やっとここに出されたんですね」と喜んでくれた。

坂野惇子は、その言葉を聞いて、自分が間違っていなかったことを確信し、喜びを噛みしめた。

阪急百貨店の援護射撃

このころ、数寄屋橋を舞台にしたNHKのラジオドラマ「君の名は」が人気を博していたので、阪急百貨店はNHKのラジオドラ「君の名は」に便乗して、大々的にファミリアを宣伝した。

「真智子さんのおめでた。まもなく二世の誕生!パパの春樹も大よろこび。近くママとなられる方々のために、阪急ファミリア・子供服ショップはお子様のものなら何でも揃うたのしい売り場です。アップリケのひとつにも仕立ての一針にも母の心を多分に織り込んだお洒落なものばかりです。君の名は 数寄屋橋阪急百貨店」

こして、阪急百貨店が連日にわたり、大々的に宣伝してくれたので、ファミリアの東京店はNHKのラジオドラマ「君の名は」の効果もあって、次第次第に売り上げを伸ばしていった。

阪急百貨店と東宝の関係からファミリア東京店は女優の来店も多く、孫のために買ってやろうという政界人・財界人の利用も多くなっていき、次第に東京でもファミリアは愛されるようになっていった。

第39話「阪急百貨店の社長・清水雅が東宝の社長になる経緯」へ続く。

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