わろてんか-藤岡新一(千葉雄大)の実在のモデル

NHKの朝ドラ「わろてんか」に登場する藤岡新一(千葉雄大)の実在のモデルの紹介です。

藤岡新一(千葉雄大)のあらすじとネタバレ

藤岡新一(千葉雄大)は、藤岡てん(葵わかな)の兄で、大学で薬学を学んでいる。

藤岡新一(千葉雄大)は、小さい頃から病弱で、どんな病気でも治せる薬を開発するため、ドイツへの留学を夢見ている。

藤岡新一(千葉雄大)は、非常に優しい性格で、藤岡てん(葵わかな)が悩んでいると、そっと手をさしのべて助けてやるが、厳しい父・藤岡儀兵衛(遠藤憲一)に反抗する芯が強いところもある。

藤岡てん(葵わかな)が「笑い」に目を向けるようになったのも、藤岡新一(千葉雄大)が切っ掛けであり、藤岡てん(葵わかな)に大きな影響を与える。

藤岡新一(千葉雄大)の実在のモデル

まだ情報が少ないので、断定は難しいのですが、藤岡新一(千葉雄大)の実在のモデルは、吉本せい(林せい)の実弟・林弘高と考えて間違いないでしょう。

林弘高は、林豊次郎の4男で、吉本興業を創業した吉本せい(林せい)の18歳下の弟である。

林弘高は、中央大学法学部を卒業後、社会党の新聞の編集に携わっていたが、吉本せい(林せい)に招かれて昭和3年(1928年)に吉本興行部(吉本興業)に入社した。

そして、昭和7年(1932年)3月1日に吉本興行部が「吉本興業合名会社」に改組したときに、吉本興業の東京支店長となり、東京の責任者となった。

そして、林弘高は、アメリカのボードビルショー「マーカス・ショー」を招聘し、昭和9年(1934年)3月に東京・有楽町の日本劇場で「マーカス・ショー」を開催した。

この「マーカス・ショー」が大成功して、吉本興業は10万円という大金を得たうえ、社格も1段も2段も上がった。

戦後、林弘高は、昭和21年(1946年)10月31日に「吉本株式会社」を設立して、吉本興業から独立しており、吉本興業の社長を務める兄・林正之助と犬猿の仲だと言われている。

しかし、昭和28年には、林弘高と兄・林正之助の2人は、力道山のプロレス興行にも加わっており、不仲を否定する説もある。

また、昭和38年(1963年)に林正之助は糖尿と膀胱炎で入院すると、別会社になっていた吉本から林弘高を呼び寄せ、林弘高に吉本興業の社長を任せている。

しかし、林弘高は東京からスタッフを連れてきて、採算の上がらない演芸部門を否定したため、吉本古参の幹部と対立を招いた。

こうした東京と大阪の軋轢があったため、林弘高は余り評価されていないのだが、林弘高が社長就任後に始めたボーリング場「吉本ボール」の収益が吉本興業を支えた事は事実である。

林弘高は日本にボーリングブームを招いて、吉本興業を支えたが、昭和41年(1966年)に脳軟化症で倒れ、昭和46年に咽頭癌で死去した。

兄・林正之助は社長への復帰を望んでいたが、昭和43年(1968年)1月にマーキュリーレコード乗っ取り事件で兵庫県警に逮捕されたため、直ぐに吉本興業の社長には復帰できず、昭和45年(1970年)になって吉本興業の社長に復帰した。

なお、朝ドラ「わろてんか」の登場人物のモデル一覧については、「わろてんか-登場人物の実在モデル」をご覧ください。

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