坂野惇子のファミリアが阪急百貨店へ進出する経緯

朝ドラ「べっぴんさん」のモデルとなる坂野惇子(佐々木惇子)の生涯を描いた「べっぴんさん-坂野惇子の立志伝」の第23話「清水雅と坂野惇子の立志伝!ファミリアが阪急百貨店へ進出した経緯」です。

これより前の話は、目次「べっぴんさん-坂野惇子の立志伝」からご覧ください。

ファミリアが阪急百貨店へ進出

坂野惇子田村枝津子(田村江つ子)田村光子の3人は、ベビーショップ・モトヤの創業から1年5ヶ月後の昭和25年(1950年)4月12日に、株式会社ファミリアを設立し、本格的な商売を始めた。

ところで、今でこそ、日本の商品は「メイドイン・ジャパン」として高品質の代表となってるが、戦後の日本の商品は「安かろう、悪かろう」という粗悪品の代名詞だった。

戦後、雑誌「暮しの手帖」の編集長・花森安治が、雑誌「暮しの手帖」で「商品テスト」を開始したのも、闇市で購入したミシンが動かなかったため、「消費者がこんな粗悪な商品を購入したら大変だ」と考えたらだった。

戦後は粗悪品が横行しており、衣類であれば、綿100%であれば黙っていても売れる時代に、坂野惇子・田村枝津子(田村江つ子)・田村光子・村井ミヨ子の4人は、赤ちゃんや子供の事を思い、高品質で手間と愛情をかけたベビー用品を販売していた。

このため、開店して間もないベビーショップ・ファミリアは、直ぐに阪急百貨店の初代社長・清水雅の目に止りまることになる。

阪急百貨店と初代社長・清水雅

ほとんどの百貨店は呉服店から百貨店へと発展したが、阪急百貨店は阪急電鉄に付随するマーケット「阪急マーケット」として創業した。

阪急百貨店の初代社長・清水雅は、大阪の清水財閥・清水栄次郎の次男として生まれた。

父・清水栄次郎は実業家として手広く活躍しており、阪急電鉄の監査役も務めていた。

清水雅は欧米遊学から帰国後、銀行への就職が決まっていたが、阪急電鉄の小林一三に招かれ、阪急電鉄に就職し、阪急電鉄の百貨店部門「阪急マーケット」で一貫して百貨店畑を歩んだ。

そして、戦後、阪急マーケットの清水雅は、GHQで財閥解体を手がけるのホイットニーから、財閥解体にともなう法律の研究中であることを教えられ、大阪の財閥も問題視されている事を知る。

そこで、清水雅は法律が出来てからでは面倒になると考え、法律ができる前に手を打つため、小林一三に相談し、阪急電鉄から阪急百貨店を独立させた。そして、清水雅が阪急百貨店の初代社長に就任した。

清水雅とダンヒル

ある日、阪急百貨店の社長・清水雅の部屋に関西配電(関西電力)の社長・太田垣がやってきた。社長・太田垣は、アメリカ土産だと言って、ダンヒルの革のタバコケースを置いて帰った。

太田垣が帰った後、清水雅がダンヒルのタバコケースを手に取ってみると、驚いたことに非常に軽い。百貨店の売り場へ行って比べてみると、他のタバコケースの半分くらいの軽さだった。

しかも、2年ほど使っても、ダンヒルのタバコケースは、色あせたり、ほつれたりしないので、清水雅はダンヒルのタバコケースに感心した。舶来上等とはよく言ったものだと。

清水雅がファミリアを発見

阪急百貨店の社長・清水雅は百貨店の視察をかねて、妻と一緒に神戸へ行き、三宮で降りて百貨店「大丸」を視察した後、元町の方を廻って帰るということをよくやっていた。

このころ、神戸の元町にダンヒルを扱う「サノヘ」という舶来雑貨店と、裏地ばかりをやっている面白い店があった。

社長・清水雅は舶来雑貨店「サノヘ」と裏地専門店を阪急百貨店に出店させられないかと考えながら、いつものよに、妻と神戸を散歩していると、ふと、創業したばかりのベビーショップ・ファミリアが目に止った。

以前は店構えは立派だが面白みの無い衣類を置いている店(レナウン・サービス・ステーション)がだったが、今度、入ったファミリアという店は、なかなか面白い商品を置いる。これは伸びるに違いない。

阪急百貨店の社長・清水雅はそう直感した。

そこで、清水雅は、舶来雑貨店「サノヘ」・裏地専門店・「ベビーショップ・ファミリア」の3店から商品を仕入れるよう、部下に命じたのである。

鳥居正一郎と坂野通夫

さて、社長の清水雅から直々にファミリアからの仕入れを命じられたのが、阪急百貨店の部長・鳥居正一郎(後に阪急百貨店・3代目社長となる)である。

鳥居家は元々、東京に居を構えていたが、姉の天津乙女(鳥居栄子)雲野かよ子(鳥居華子)が阪急グループの宝塚少女歌劇団に入団したため、鳥居家は阪急グループ総帥・小林一三の勧めを受けて一家揃って関西へと引っ越した。

そして、父・鳥居政吉(旧姓・水野政吉)も小林一三の勧めで阪急マーケット(阪急百貨店)に就職しており、鳥居正一郎も京都帝国大学を卒業後、阪急百貨店に務めていた。

さて、このころ、坂野惇子の夫・坂野通夫佐々木営業部(レナウン)で働いており、佐々木営業部で阪急百貨店を担当していた。

また、阪急百貨店の部長・鳥居正一郎と坂野通夫は、京都帝国大学の先輩後輩(鳥居正一郎が先輩)という関係だった。

そこで、阪急百貨店の部長・鳥居正一郎が坂野通夫に「神戸にあるファミリアという店を知ってるかい?」と尋ねると、坂野通夫は「ファミリアなら、うちの妻がやっている店ですよ」と教えた。

坂野通夫の答えに驚いた部長・鳥居正一郎は、社長・清水雅から直々にファミリアの商品を仕入れるように命じられた事を明かし、坂野通夫にファミリアとの仲介役を頼んだ。

ファミリアと阪急百貨店の交渉

仲介役を引き受けた坂野通夫は、早速、ファミリアの坂野惇子と田村光子を連れて阪急百貨店を訪れ、ファミリアと阪急百貨店の話し合いが始まった。

この話し合いで、急百貨店の宣伝次長・土岐国彦が、ファミリアに「特別に阪急特選のマークを差し上げますので、早速にマークを付け替えて納品してください。価格も好条件で買い取りましょう」と持ちかけた。

百貨店が創業間もない企業に取引を持ちかけることだけでも、異例中の異例なのに、阪急百貨店の宣伝次長・土岐国彦はファミリアに破格の好条件を提示したのである。

ところが、坂野惇子は「私たちは自分たちの作る製品に、ファミリア以外のネームを付ける事はできません」と言って拒否してしまった。

実は、レナウンという取得した父・佐々木八十八が、自身の経験から、ファミリアを創業する坂野惇子に「他社に売っていない良い商品を作り、商標を大切にするように」と助言していた。

このため、坂野惇子はファミリアという名前を重視しており、阪急百貨店の宣伝次長・土岐国彦が提示した阪急特選マークを拒否したのである。

坂野惇子の返事を聞いて商売知識の無さに呆れた阪急百貨店の宣伝次長・土岐国彦は、「あのね、小売店の名前が付いた物を百貨店が販売するなんて、とても出来ませんね。そんな前例もありません」と説明する。

しかし、坂野惇子は「ファミリアは小売りもしていますが、製品を作っているメーカーです。ファミリアの名前で売らせて頂けないのなら、遠慮します。神戸の店で売る分だけでも、忙しく商品作りに追われているのですから、ファミリアマークの無い商品をわざわざ作るつもりは、今ありません」と言って、キッパリと阪急百貨店との取引を断ってしまった。

さらに、同席していたファミリアの田村光子も、世界的に有名な高級食器メーカー「大倉陶園」を引き合いに出し、「阪急百貨店さんは大倉陶園の商品をそのままの名前で売っておられるでしょ?」と指摘した。

阪急百貨店の宣伝次長・土岐国彦は、創業して間もないファミリアが世界的に有名な高級食器メーカー「大倉陶園」と同列に考えている事に呆れ果ててしまった。

これに困ったのが、ファミリアと阪急百貨店の仲介役を引き受けた坂野通夫である。阪急百貨店の社長・清水雅からの直々の命令なので、なんとか取引を成功させなければならない。

そこで、阪急百貨店の部長・鳥居正一郎が助け船を出し、ファミリアという名前を入れた「阪急ファミリアグループ」という妥協案を提示してくれた。

ながらしい名前だが「ファミリア」という名前が入っているので、仲介役の坂野通夫は、ファミリアの坂野惇子と田村光子に「阪急ファミリアグループ」で納得してもらい、ファミリアは阪急百貨店に商品を販売する契約が成立した。

こうして、ファミリアは阪急百貨店に「阪急ファミリアグループ」の名前で商品を販売することになったのだが、そう簡単に話は進まず、ファミリアの坂野惇子が阪急百貨店に激怒して契約を打ち切ると言いだすことに・・・。第24話へ続く。

坂野惇子の立志伝の第24話は、目次「べっぴんさん-坂野惇子の立志伝」から選んでください。

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