わろてんか-伊能栞(高橋一生)の実在のモデルは小林一三

NHKの朝ドラ「わろてんか」に登場する伊能栞(いのう・しおり/高橋一生)の実在のモデルをネタバレします。

わろてんか-伊能栞(高橋一生)のあらすじとネタバレ

NHKの朝ドラ「伊能栞(いのう・しおり/高橋一生)は、大阪にある「伊能薬品」の社長の息子だが、正妻の子ではなく、東京で生まれ育ち、実家の伊能家とは距離を置いて神戸で貿易会社を興した。

伊能栞(高橋一生)は、京都の薬問屋「藤岡屋」の娘・藤岡てん(葵わかな)と結婚するはずだったが、藤岡てん(葵わかな)が北村藤吉(松坂桃李)のことを好きなのだと知り、藤岡てんと北村藤吉(松坂桃李)の結婚を応援する。

また、伊能栞(高橋一生)はエンターテイメント産業に興味があったため、寄席の経営を始めた藤岡てんと北村藤吉(松坂桃李)と親交を深め、日本にショービジネスを根付かせる。

伊能栞(高橋一生)の実在のモデル

朝ドラ「わろてんか」に登場する伊能栞(高橋一生)の実在のモデルは、私が思いついただけで、3人ほど候補が居ます。

ただ、「神戸で事業を興し、エンターテイメントを根付かせる」という点を重視すると、伊能栞(高橋一生)のモデルは、神戸で宝塚少女歌劇団を創立した阪急グループの小林一三だと考えられます(あくまでも当サイトの推測です)。

伊能栞(高橋一生)の「藤岡てん(葵わかな)と結婚する予定だった」という設定は朝ドラ「わろてんか」のオリジナル要素であり、小林一三と吉本興業の創業者・吉本せい(林せい)は、個人的な接点はありません。

このため、小林一三の立志伝を紹介しても朝ドラ「わろてんか」の参考にならないと思うので、朝ドラ「わろてんか」への理解が深まるように、実話の「松竹」「東宝(阪急グループ)」「吉本興業」の関係を解説しておきます。

「松竹」「東宝」「吉本興業」の関係

まず、京都の大谷竹次郎は、明治28年(1895年)に京都の阪井座を買収して寄席の経営に乗り出すと、瞬く間に京都の演劇界を制覇して、大阪へと進出し、大阪・道頓堀の5座を手中に収め、明治35年(1902年)に兄・白井松次郎と共に「松竹」を設立した。

松竹は道頓堀5座を根城にして、大阪から東京へと勢力を拡大していくことになる。

一方、吉本せい(林せい)吉本泰三(吉本吉兵衛)の夫婦は、家業が廃業したことにより、明治45年(1912年)4月1日に天満天神裏にある三流の寄席「第二文芸館」の経営権を取得して寄席の経営に乗り出し、大正2年(1913年)に「吉本興行部(吉本興業)」を設立した。

吉本興業は、浪速落語反対派の岡田政太郎と提携し、「低価格戦略」「寄席のフランチャイズ化」「芸人をお金で縛る」という戦略で勢力を拡大し、大正11年(1922年)に大阪の演芸界を統一して、吉本王国を築いた。

他方、小林一三は山梨県の出身で、三井銀行で働いていた時に、島徳蔵や岩下清周が設立する証券会社の支配人として招かれたが、不況の影響で証券会社の設立が立ち消えとなり、失業してしまう。

その後、小林一三は箕面有馬電気鉄道(阪急電鉄)の経営に加わって実質的経営者となり、大正3年(1914年)4月に、宝塚新温泉の再利用として「宝塚少女歌劇団」を創立してエンターテイメント産業に進出した。

すると、宝塚少女歌劇団の大成功を受け、全国に少女歌劇ブームが到来する。松竹の白井松次郎も「松竹楽劇部」を設立する。戦後に「ブギの女王」として活躍する笠置シヅ子も「松竹楽劇部」の出身である。

その後、小林一三が宝塚を東京に進出させ、「東京宝塚」を設立。この東京宝塚が「東宝」になり、「東宝VS松竹」という対立に続いていく。

ところで、吉本興業は大阪の演芸界を統一して吉本王国を築いたが、あくまでも演芸界であり、「演劇界」の東宝や松竹やとは規模もジャンルも違うので、対立することは無かった。

しかし、昭和2年、吉本興業の林正之助が発掘した漫才が儲かると分かると、松竹の白井松次郎は吉本興業から漫才師を引き抜こうとした。

すると、吉本興業の林正之助は激怒して、松竹に乗り込み、白井松次郎を「刑務所にぶち込まれても吉本は守ります」と脅し、松竹に手を引かせ、吉本興業の危機を救った。

こうして、「東宝VS松竹」「吉本VS松竹」という対立構造が生まれた。

このようななか、吉本興業の人気漫才コンビ「エンタツ・アチャコ」は人気絶頂中にコンビを解散して、横山エンタツと花菱アチャコは別々の漫才コンビを結成して分裂した。

ところが、世間から「エンタツ・アチャコ」の復活を望む声が上がったため、吉本興業は、舞台では別々のコンビを組んだまま、映画では「エンタツ・アチャコ」を復活させることにした。

この頃、東京では、東宝が日本劇場(日劇)を買収したのに対し、松竹は浅草国際劇場を新築して対抗。引き抜き合戦もあり、東宝と松竹の争いは激化していた。

このため、吉本興業は当初、松竹と組んで「エンタツ・アチャコ」の映画を制作しようとしていたが、途中で変更になり、東宝と組んで映画を制作することになった。

こうして、吉本興業は東宝と組んで映画界に進出し、エンタツ・アチャコが主演する映画「あきれた連中」は大当たりして続編が何本も作られた。

これに激怒した松竹は、松竹系列「新興キネマ」に演芸部門「新興演芸部(後の松竹芸能)」を設立して、演芸界に進出するため、巨額の資金を投じて吉本興業から芸人を引き抜きにかかった。

吉本興業に不満を持つ芸人は多く、何人かの芸人は松竹に引き抜かれ、吉本興業の給料に不満を持っていた花菱アチャコも、松竹の永田雅一(新興キネマの社長)から3万1500円が入った三和銀行の通帳を受け取り、松竹への移籍を決めた。

当時は大卒の初任給が45円だったので、3万1500円というのは相当な大金である。

その動きを察知した吉本興業の林正之助は、花菱アチャコを脅して吉本興業に引き留めようとしたが、花菱アチャコは日本でも有数のドケチだったので、脅しには屈しなっかった。

そこで、吉本興業の創業者・吉本せい(林せい)は、花菱アチャコの父親を脅した。

すると、父親は驚いて、花菱アチャコから3万1500円が入った通帳を取り上げたので、ドケチの花菱アチャコも仕方なく、松竹への移籍を諦め、吉本興業に残ったのであった。

こうして、松竹系列「新興キネマ」による引き抜き事件は、頭のを上を大金が飛び交ったことから、最終的に大阪府警・京都府警が仲介に乗り出して調停に及び、「引き抜き禁止」の約束が取り交わされて休戦に至ったのだった。

なお、朝ドラ「わろてんか」のモデルについては「わろてんか-登場人物の実在モデル」をご覧ください。

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