坂野惇子のファミリアと亀高文子の関係

ベビー用品店「ファミリア」の創業した坂野惇子の生涯を描く立志伝「べっぴんさん-坂野惇子の生涯」の番外編「ファミリアと亀高文子の関係」の解説です。

亀高文子が神戸で活動するようになる経緯

朝ドラ「べっぴんさん」にも登場すると思うので、亀高文子とファミリアの関係について簡単に紹介しておきます。

亀高文子については、既に「亀高文子の立志伝」を書いているので、詳しくは立志伝の方を見て頂くとして、ここでは補足的な説明になります。

さて、亀高文子は、洋画が世間に認められていなかった明治から昭和にかけて活躍した女流の洋画家で、洋画界の先駆者です。

女性が画家になるのは難しい時代だったのですが、亀高文子は父親が日本画家・渡辺豊州だったので、家族の理解により、洋画家の道へ進むことが出来ました。

それで、東京で亀高文子は活動していたのですが、再婚した夫・亀高五市の神戸転勤に伴って、明治12年(1879年)に神戸へ引っ越し、神戸で女性を対象とした洋画教室「赤艸社(せきそうしゃ)女子絵画研究所」を創設して、神戸で活躍することになります。

スポンサードリンク

評価されない亀高文子

亀高文子は、日本の女性洋画家で最初に洋画を入選させた人物ともいわれるのですが、ほとんど無名です。

実は、当時の女性は洋裁の他に、絵やピアノも習っていたのですが、それらは「お稽古」の1つに過ぎず、赤艸社女子絵画研究所に通っていた門下生も本気で女流画家を目指そうという人は居ませんでした。

このため、亀高文子は、洋画界の先駆者でありながら、絵画教室の先生程度にしか評価されなかったので、現在もほとんど評価されることがありません。

亀高文子とファミリアの接点

亀高文子が創設した赤艸社女子絵画研究所には、神戸の中流・上流階級のお嬢さんが通っていました。

それで、ファミリア創立メンバーの坂野惇子・田村枝津子(田村江つ子)・田村光子の3人が赤艸社女子絵画研究所に通い、亀高文子から油絵を習っています。

このため、坂野惇子・田村枝津子(田村江つ子)・田村光子の3人は、ファミリアを創立後、ファミリアで画力を発揮しています。

ファミリアの創立メンバーである村井ミヨ子(中井ミヨ子)も油絵を習っているのですが、村井ミヨ子(中井ミヨ子)については、赤艸社女子絵画研究所に通っていたかどうか、までは分かりません。

田村枝津子(田村江つ子)については、赤艸社女子絵画研究所に通い始めた時期が判明しており、田村枝津子(田村江つ子)は甲南高等女学校(現在の甲南女子大学)へ入学した昭和6年(1931年)の夏から赤艸社女子絵画研究所に通い初め、亀高文子や、その長男・渡辺一郎や長女・亀高みよ子から油絵を習っています。

また、昭和46年には、「亀高文子の秘蔵っ子」と呼ばれ、国展の入賞常連だった浜田公子が、田村枝津子(田村江つ子)に誘われてファミリアに入り、デザインを手がけています。

スポンサードリンク

ブログ内検索

スポンサードリンク