朝ドラ「なつぞら」山田タミのモデル神田ハナの立志伝

NHKの朝ドラ「なつぞら」に登場する山田タミ(小林綾子)のモデル神田ハナの立志伝です。

神田ハナの立志伝

神田ハナは、画家・神田日勝の母親で、栃木県の岩本家に生まれた。したがって、生まれたときの名前は「岩本ハナ」である。

神田ハナは、4歳の時に母親が死んだため、子供の居なかった足利の叔母に育てられたが、叔母に実子が出来たため、牛久家の養子に出された。

ただ、牛久家の養子になって「牛久ハナ」と名乗っていたようだが、戸籍上は「岩本ハナ」だったらしい。

その後、ミシンを習うために東京へ出て、洋服制作店で住み込みで働いたが、ミシンは扱わせてもらえず、無休の女中のように扱われた。

裁縫が得意で、子供の着物の仕立てなど賃仕事に追われていたとき、神田要一と出会い、結婚。体が弱かったようだが、神田奈美子・神田一明・神田登美子・神田日勝・神田幸枝の5人の子供を儲けた。

神田ハナは、きれい好きで、いつも身なりを整えており、本も好きだった。娘に奈美子・登美子と名付けたのも、徳冨蘆花の小説「不如帰」から名前をとったのではないかと言われている。

また、神田ハナは、美人画を描いており、長男・神田一明と次男・神田日勝が画家の道へ進んだのは神田ハナの才能を引き継いだからとも言われる。

その後、東京大空襲を受けると、夫・神田要一が北海道を開拓する拓北農兵隊に応募したため、一家を率いて北海道十勝地方の鹿追町へと移り住んだが、鹿追町に到着した翌日に終戦を迎えた。

その後については、大きなエピソードは無く、次男・神田日勝が描いた絵に、「嫌らしい絵ばっかりかいて」と不満を漏らしたくらいだ。

次男・神田日勝が32歳で死去すると、人力と馬に頼った農業は継続できなくなり、神田家は離農した。

神田ハナと夫・神田要一は長男・神田一明に引き取られ、神田ハナは8年後に死去。夫・神田要一はその2年後に死去した。

なお、朝ドラ「なつぞら」の各モデルは「朝ドラ「なつぞら」-実在のモデル」をご覧ください。

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