朝ドラ「なつぞら」山田陽平のモデル神田一明の立志伝

NHKの朝ドラ「なつぞら」に登場する山田陽平(犬飼貴丈)のモデルとなる神田一明(かんだ・かずあき)の立志伝です。

神田一明の立志伝

神田一明の画像神田一明は昭和9年(1934年)3月に東京都練馬区で、洋品店を営む神田要一の長男(5人兄弟の2番目)として生まれた。母親は神田ハナである。

父・神田要一は東京で小さな洋品店を営んでいたが、東京大空襲を受けて商売が困難なったため、北海道を開拓する拓北農兵隊に応募し、一家を率いて北海道十勝地方の鹿追町へと移り住んだが、鹿追町に到着した翌日に終戦を迎えた。

神田一明は笹川小学に編入して、卒業後は鹿追中学を経て、帯広柏葉高校にへと進学。小学生の時から弟・神田日勝とともに絵の上手な兄弟として有名だった。

神田一明は一足先に学校の美術部に入って油絵を始めており、弟・神田日勝にも油絵を指導し、弟・神田日勝の絵に大きな影響を与えた。

神田一明は、早くから東京芸術大学への進学を決意していたが、家庭の事情で2人も進学することが出来なかった。

家庭の事情を知っていた弟・神田日勝が、高校進学を諦めて、実家の農業を継いだので、神田一明は東京芸術大学へと進学した。奨学金を得て、授業料は免除だったという。

東京芸術大学に在学中も年に数度、北海道に帰省して農業や井戸掘りを手伝ったり、東京のことを話して弟・神田日勝に影響を与えた。

神田一明は22歳の時に東京芸術大学の学生・岡野比呂子(神田比呂子)と学生結婚し、24歳で東京芸術大学美術学部油画科を卒業後は油画専攻科へと進んだが、油画専攻科を中退して北海道で美術教師をしながら画家として活動した。

神田一明(25歳)は昭和34年(1959年)の行動展に初出展して初入賞を果たし、昭和35年(1960年)の全道展で市教育長賞を受賞。このとき、妻・神田比呂子が彫刻で道知事賞を受賞し、弟・神田日勝も入選を果た。

昭和36年(1961年)の全道展では、神田一明が道教育長賞、弟・神田日勝が道知事賞に選ばれるという兄弟受賞で大きな注目を集めた。

神田一明は行動展で2度の新人賞を得た後、昭和40年(1965年)に全道展の会員となり、昭和41年(1966年)に北海道教育大学旭川校の教員に就任し、教鞭をとる傍らで画家としての活動を続けた。

そして、昭和48年(1973年)に行動展の会員となり、安井賞展の最終選考に2度も残るなど、中央でも実績を残した。

昭和53年(1978年)8月に弟・神田日勝が死去すると、神田一明は49日の法要で神田日勝の親友・米山将治と激しい口論に及んだ。

その結果、未亡人・神田ミサ子に「米山なら大丈夫だ」と言い、米山将治を弟・神田日勝の遺作の後見人に推挙し、自身は弟・神田日勝の遺作に関わらなかった。

画家だった弟・神田日勝が32歳で死去したため、弟・神田日勝の方に注目が集まりがちだが、神田一明も画家として数々の実績を残し、北海道教育大学旭川校の名誉教授に就任した。

平成11年(1999年)に北海道教育大学旭川校を退官すると、北海道旭川市高砂台5丁目に私費で「神田美術館」(弟・神田日勝の「神田日勝記念美術館」とは別)を開設したほか、絵画教室なども主催して市民への絵画普及に貢献した。

なお、朝ドラ「なつぞら」の登場人物のモデルまとめは「朝ドラ「なつぞら」-実在のモデル」をご覧ください。

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