NHKの朝ドラ「なつぞら」に登場する山田天陽(吉沢亮)のモデルとなる画家の神田日勝(かんだ・にっしょう)の家系図の紹介です。
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神田日勝の北海道十勝の農民・画家として知しられているが、昭和の開拓移民の2世であり、出生地は北海道ではなく、東京である。
神田日勝は、昭和12年(1937年)12月8日に東京市板橋区練馬南町(東京都練馬区練馬)で、5人兄弟の4番目の子供として生まれている。
紹介した家系図は簡略化のために順番が変えているが、神田一明が長男で、神田奈津実と神田登美子の2人が姉で、神田幸枝は神田日勝の妹である。
神田日勝の父・神田要一は群馬県の出身で、衣類工場などに勤めた後、衣類販売を手がけていたが、東京大空襲で商売が立ちゆかなくなり、北海道を開拓する北農兵隊に応募して一家で北海道鹿追村へと移り住んで帰農した。これが北海道・神田家の始まりである。
神田家の家系に絵の道に進んだ者は居らず、芸術の道へ進んだのは、神田日勝と兄・神田一明だけだが、母・神田ハナが美人画を描いており、その才能を引き継いだと言われる。
家庭の金銭的事情から、神田日勝は、兄・神田一明を東京芸術大学へ進学させるため、高校進学を諦めて、実家の農業を継いだ。
兄・神田一明は、東京芸術大学へと進学して、在学中に知り合った彫刻家・神田比呂子と結婚し、夫婦で芸術家として活動した。
妻・神田ミサ子は昭和15年(1940年)に高野長吉の三女として生まれた。高野家は明治末期に開拓農家となった家系で、妻・神田ミサ子で開拓農家の3代目である。
神田日勝の姉・神田登美子が和田博と結婚しており、和田家と高野家が親戚という関係だった。
つまり、神田日勝と妻・神田ミサ子は遠い親戚だったのである。
しかし、2人が親戚という立場で会ったことはなく、初めて会ったのは、青年団同士の交流会だった。
神田日勝が結婚齢期になったため、どのような女性がタイプかと尋ねたら、神田日勝は「明るい子」と答えた。
妻・神田ミサ子は、周囲の人から「ニコニコ太陽」と呼ばれるほど明るくて健康的だったので、姉・神田登美子が間に入って結婚が決まった。
神田日勝と妻・神田ミサ子に生まれた子供は、長男・神田哲哉と長女・神田絵里子の2人である。
長男・神田哲哉は、最初「神田大介」と名付けられたのだが、病院側が母子手帳を紛失したため、名前を変えた方が良いのでは無いかということになり、「神田哲哉」へと変更した。
これ以降の子孫については、詳しいことは紹介できないが、無事に神田日勝の孫が生まれている。
なお、神田日勝の生涯については「神田日勝の立志伝」をご覧ください。
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