まんぷく-猿渡鎌作(田中哲司)のモデル

NHKの朝ドラ「まんぷく」に登場する偽物製造業者「テイコー食品」の社長・猿渡鎌作(さるわたり・かまさく/田中哲司)の実在のモデルを紹介します。

■まんぷく-猿渡鎌作(田中哲司)

朝ドラ「まんぷく」に登場する猿渡鎌作(田中哲司)は、「テイコー食品」という会社の社長で、立花萬平(長谷川博己)が発売した「まんぷくラーメン」がヒットすると、「本家まんぷくラーメン」を発売した。

立花萬平(長谷川博己)が怒って抗議しても、テイコー食品の猿渡鎌作(田中哲司)は「新聞沙汰になれば良い宣伝になる」と言い全く相手にしなかった。

それどころが、猿渡鎌作(田中哲司)は今井福子(安藤サクラ)のソックリさんを使って宣伝を行い、立花萬平(長谷川博己)を挑発した。

立花萬平(長谷川博己)は類似品を作る業者に警告文を送るが、テイコー食品の猿渡鎌作(田中哲司)は「自分たちの方が本家だ」と言い、取り合わない。

そのようななか、立花萬平(長谷川博己)は即席ラーメンの特許を出願していたが、テイコー食品の猿渡鎌作(田中哲司)も特許を出願していたことが判明する。

最終的には特許庁の判断になるが、立花萬平(長谷川博己)は無事に特許を取得することが出来た。

立花萬平(長谷川博己)は特許を理由に販売の停止を求めるが、テイコー食品の猿渡鎌作(田中哲司)は「特許は無くても、先に販売していたので権利がある」と言い、「本家まんぷくラーメン」の生産を止めなかった。

激怒した立花萬平(長谷川博己)は、「まんぷく食品」から「テイコー食品」へ転職した社員・坂本を呼び出して、追求すると、坂本は猿渡鎌作(田中哲司)に引き抜かれて、「まんぷくラーメン」の製造法を教えたことを明かした。

そこで、立花萬平(長谷川博己)は、坂本の証言を元に訴訟を起こすと告げると、テイコー食品の猿渡鎌作(田中哲司)は観念して「本家まんぷくラーメン」の製造を止めたのだった。

■猿渡鎌作(田中哲司)のモデル

朝ドラ「まんぷく」に登場する猿渡鎌作(田中哲司)の実在のモデルは、日華食品の社長(在日台湾人)だと考えらます。

日清食品安藤百福(呉百福)が発売した即席麺「チキンラーメン」が昭和34年(1959年)に大ヒットすると、続々と業者が参入し、「チキンラーメン」の類似品が数多く売られるようになった。

このとき、安藤百福(呉百福)は「チキンラーメン」の商標を取得していなかったので、類似品は「チキンラーメン」という名前で売られていた。

酷い商品になると、パッケージまで酷似していた。しかも、こうした類似品は安いだけの粗悪品が多かった。

そこで、日清食品の安藤百福(呉百福)は、昭和34年(1959年)に莫大な費用を投入してテレビCMを流し、昭和35年(1960年)9月に「チキンラーメン」の周知商標を確定させた。

このため、日清食品以外は「チキンラーメン」という商品名が使用できなくなったのだが、日華食品は警告を無視して「チキンラーメン」を製造し続けていた。

そこで、日清食品の安藤百福(呉百福)は怒って日華食品を訴え、大阪地裁が日華食品に対して仮処分を執行した。

ところが、日華食品が先願権を主張しており、日華食品の方が日清食品よりも1ヶ月も早く「チキンラーメン」の商標を申請していたことが判明したため、大阪地裁の仮処分が停止されるという事態になった。

その一方で、「チキンラーメン」の商品名で販売していた類似品業者12社(後に5社加盟)が集まり、「全国チキンラーメン協会」を設立し、「チキンラーメンは、チキンライスと同じで一般名称に過ぎない」と言い、日清食品の商標に異議申し立てをして、日清食品に抵抗していた。

この「全国チキンラーメン協会」が、日清食品と対立する日華食品を支援した。

そして、日華食品は、「全国チキンラーメン協会」の応援を受けて、日清食品の安藤百福(呉百福)を名誉毀損・営業妨害などで訴えた。

ところが、日華食品の社長は、日清食品のベテラン社員2人を引き抜いて、日清食品の製造方法を教えてもらっていたこともあり、敗訴してしまう。

一方、「全国チキンラーメン協会」が申請していた異議申し立ても退けられ、日清食品の商標が確定したため、類似品業者は「チキンラーメン」を使えなくなり、各社は名前を変えて販売し、様々な名前の即席ラーメンが誕生した。

ただし、商品名が変わっただけで、中身は変わらず、安いだけの粗悪品は横行したのだった。

なお、実話では、この商標争いに平行して、即席ラーメンの特許を巡る争いが起きており、かなり複雑なのですが、泥沼の特許紛争に興味がある人は「安藤百福(呉百福)とインスタントラーメンの特許紛争をご覧ください。

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