まんぷく食品のモデルは日清食品(サンシー殖産)

NHKの朝ドラ「まんぷく」に登場する「まんぷく食品」のモデルは、安藤百福(呉百福)が創業した「日清食品(サンシー殖産)」です。

まんぷく食品のあらすじ

池田信用組合の理事長を辞任して無職なった立花萬平(長谷川博己)は、今井福子(安藤サクラ)の言葉がきっかけで、自宅で食べられるラーメンの開発に着手し、試行錯誤の末、即席ラーメン「まんぷくラーメン」を開発した。

池田信用組合の小野塚真一(大谷亮平)は即席ラーメン「まんぷくラーメン」を食べて、その味に驚き、革命的な発明なので、直ぐに会社を設立するべきだと助言した。

このとき、立花萬平(長谷川博己)は即席ラーメン「まんぷくラーメン」の袋のデザインを画家・香田忠彦(要潤)に依頼しており、できあがったデザインを見ると、「まんぷく食品」と書いてあった。

立花萬平(長谷川博己)はこれを気に入り、「まんぷく食品」を設立し、即席ラーメン「まんぷくラーメン」の販売を開始するのだった。

まんぷく食品のモデルは日清食品

朝ドラ「まんぷく」に登城する「まんぷく食品」のモデルは、チキンラーメンを販売する日清食品です。

GHQに脱税で逮捕され、有罪判決を受けて東京プリズンに投獄された在日台湾人・安藤百福(呉百福)は出所後、華僑系の信用組合「大阪華銀」の理事長に就任した。

しかし、安藤百福(呉百福)は、大豆相場への投資が失敗したため、昭和31年(1956年)に信用組合「大阪華銀」を倒産させ、横領・背任の罪で執行猶予付きの有罪判決を受け、全財産を失った。

昭和33年(1958年)夏、安藤百福は、知り合いの在日台湾人・井上炎亭(許炎亭)と再会し、井上炎亭(許炎亭)から即席麺「鶏糸麺(ケーシーメン)」のことを教えられる。

東京の在日台湾人・陳栄泰(大和通商)が、昭和33年の春に東京の百貨店で台湾の即席麺「鶏糸麺」を発売しており、大阪でも販売することにした。

そこで、大和通商の役員をしていた井上炎亭(許炎亭)が、関西代理店のとなる「三倉物産」を設立して、大阪で即席麺「鶏糸麺」を販売しようとしたのである。

安藤百福は、即席麺「鶏糸麺」に強い興味を示し、関西代理店「三倉物産」に加わり、一緒に即席麺「鶏糸麺」を大阪で販売するのだが、このとき、井上炎亭(許炎亭)が「鶏糸麺」を英語に直して「チキンラーメン」と名付けて販売した。

また、東京で生産して大阪へ輸送するのはコストがかかるため、安藤百福は東京の在日台湾人・陳栄泰(大和通商)から即席麺「鶏糸麺」の製法を学んで、日本人の好みに合うように改良し、大阪で「チキンラーメン」を生産・販売するようになった。

しかし、「チキンラーメン」は全く売れなかったので、井上炎亭(許炎亭)に相談すると、井上炎亭(許炎亭)が当時流行していたミッチーブームに便乗して「日清」にちなんだ名前を付ければ、売れるのではないかと助言した。

当時、正田美智子と皇太子・明仁親王(平成の今上天皇)のご成婚が決まり、世間ではミッチブームが起きていた。正田美智子の実家が、日清製粉の創業家だったため、ミッチブームの影響で日清製粉が連日のようにマスコミに取り上げられていたのである。

そこで、安藤百福は、昭和33年(1958年)12月20日に「日清食品」を設立し、日清食品という名前を前面に押し出して宣伝すると、チキンラーメンは昭和34年(1959年)にミッチーブームの波に乗って爆発的に売れ始めたという。

(注釈:安藤百福が脱税で投獄されている間に、安藤百福の会社「サンシー殖産」が休眠会社になっており、「サンシー殖産」を復活させて社名を「日清食品」へと変更したようである。)

なお、朝ドラ「まんぷく」の実在のモデルについては、「「まんぷく」のキヤストと実在のモデル一覧をご覧ください。

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