坂野通夫と坂野惇子の終戦

朝ドラ「べっぴんさん」のモデルとなる坂野惇子の立志伝を描いた「べっぴんさん-坂野惇子の立志伝」の第7話「坂野通夫と坂野惇子の終戦」です。

このページは第7話です。これより前の話は、目次「べっぴんさん-坂野惇子の立志伝」から選んでください。

べっぴんさん-坂野通夫の出征と終戦

坂野通夫は学生時代に肺膜炎を煩っていた影響で、徴兵検査のレントゲン撮影で肺に影があったため、乙種として、ひとまず兵役を免れていた。

そして、の昭和15年(1940年)5月に坂野惇子(佐々木惇子)と結婚して、幸せな新婚生活をお送り、昭和17年(1942年)の秋には長女・坂野光子が生まれた。

しかし、日本は昭和18年(1943年)2月にガダルカナル島の戦いで敗戦して以降、状況を悪化させており、やがて、乙種も徴兵されるようになっていく。

乙種となってひとまず兵役を逃れていた坂野通夫も赤紙を受け、昭和18年(1943年)10月に召集されて海軍の嘱託となり、妻子を残して、インドネシアの首都・ジャカルタへと派遣された。

これは坂野通夫にとっては幸運だった。ちょうど、坂野通夫が出発した日に陸軍の赤紙が届いており、陸軍の赤紙を受けた者は、野戦重砲兵として徴兵され、大勢が戦場で最期を迎えることになる。

さて、ジャカルタに派遣された坂野通夫は、ジャカルタ海軍武官府の運輸課に配属され、物資や人員の輸送・運搬などに従事し、様々な事を学んだ。

限られた時間内で輸送・運搬をしなければならないため、全てが効率的だった。このときに学んだ事は、後のファミリアに大きく役立った。

弾薬を満載した貨物船が爆発する事故があったが、坂野通夫は幸運に恵まれ、一重の差で助かった。坂野通夫は度々、命が助かっている。

さて、坂野通夫がジャカルタに着いた当初は、まだ南方の戦況は悪化しておらず、ジャカルタでは中国人が西洋式のベビー用品を売っているような状況だった。

大正時代や昭和初期のほ乳瓶は、現在の柔らかいほ乳瓶とは違い、ガラス製のほ乳瓶だったので、非常に使いにくく、妻・坂野惇子は育児に苦労していた。

ジャカルタで外国製のベビー用品を観た坂野通夫は、育児に苦労する妻・坂野惇子の事を思い出し、ジャカルタで良さそうなベビー用品を見つけては、日本に居る妻・坂野惇子に送くるようになった。

こうして、坂野通夫は、ジャカルタでベビー用品を見る目を養うと共に、輸入品に興味を示すようになり、このときの経験が、後にファミリアで大いに役立つ事になる。

しかし、次第、次第に戦況は悪化しいき、坂野通夫はジャカルタで終戦を迎え、抑留生活を送る。坂野通夫は何度も命を落としそうになったが、幸運に恵まれて助かっていた。

やがて、進駐軍に拿捕されていた大阪商船(商船三井)の「すみれ丸」が、オランダ人の引き揚げ船となる。

このとき、坂野通夫は英語ができ、現地の言葉も少し分かったので、イギリス海軍から連絡将校を命じられ、すみれ丸に乗って6ヶ月間、オランダ人抑留者の引き上げに従事した。

べっぴんさん-坂野惇子の終戦

坂野通夫は昭和18年(1943年)10月に海軍の嘱託としてインドネシアの首都・ジャカルタへと派遣された。

翌年の昭和19年(1944年)、夫・坂野通夫を海軍に取られた坂野惇子は、戦況も悪化したこともあり、父・佐々木八十八が所有する軽井沢の別荘へ荷物を運び込み、軽井沢の別荘へ疎開した。

しかし、軽井沢の別荘はサマーハウスだったので、坂野惇子は秋の到来を受け、幼い長女・坂野光子を連れて軽井沢の別荘で冬を越すことに不安を覚え始めた。

このようななか、坂野惇子の兄が病死した。

軽井沢で冬を越すことに不安を覚えていた坂野惇子は、これを機に兵庫県神戸市東灘区岡本の自宅に帰ることに決め、昭和19年(1944年)10月に長女・坂野光子を連れて兵庫県神戸市東灘区岡本の自宅へと帰った。

このとき、荷物制限が厳しくなっていたので、坂野惇子は手荷物しか持って帰れず、ほとんどの荷物を軽井沢の別荘に残してきた。こうして軽井沢に残してきた荷物が貴重な財産となり、ファミリア創業のきっかけとなる。

さて、日本の本土は昭和19年(1944年)末から、アメリカ軍の空爆を頻繁に受けるようになり、兵庫県神戸市は終戦目前の昭和20年(1945年)の3月と6月には、神戸大空襲と呼ばれる大規模な空襲を受けた。

坂野惇子は、昭和20年(1945年)6月5日の神戸大空襲で、兵庫県神戸市東灘区岡本の自宅を被災してしまう。

このとき、東京の子爵・三浦義次に嫁いでいた姉・佐々木智恵子(三浦智恵子)が、一足先に東京の空襲で被災しており、岡山県勝山町の勝山藩旧藩邸に疎開していた。

姉・佐々木智恵子(三浦智恵子)が嫁いだ子爵・三浦義次は、岡山県の勝山藩主・三浦基次の長男なので、疎開先の岡山県勝山町は三浦家の実家である。

そこで、神戸空襲で自宅を失った坂野惇子は、姉・佐々木智恵子(三浦智恵子)を頼って岡山県勝山町へ疎開し、疎開先の岡山県勝山町の勝山藩旧藩邸で終戦を迎えた。

一方、神戸に居を構えていた父・佐々木八十八も神戸大空襲で自宅を被災したため、京都へと移り、京都で終戦を迎えた。第8話へ続く。

お手数ですが、第8話は目次「べっぴんさん-坂野惇子の立志伝」から選んでください。

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