宮崎駿の家系図

映画「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」などを手がけたアニメ作家・宮崎駿の家系図です。

宮崎駿の家系図

宮崎駿の家系図"

宮崎富次郎(みやざき・とみじろう)

宮崎駿の祖父・宮崎富次郎は、奥村勝○(判読不能)の長男として明治15年(1882年)9月に生まれたが、宮崎浅吉の養子となり、宮崎姓を名乗った。

宮崎富次郎は製錠業を習得して明治37年に金属雑貨製造業を創業し、「宮崎製作所」の代表取締役を務めた。

宮崎富次郎は、ランプの特許などを持つ発明家だったうえ、ライオン鍵製作業も手がけていたようで、裕福な暮らしをしていた。

子供は、男子が長男・宮崎芳太郎、次男・宮崎勝次、三男・宮崎祐吉の3人、女子が長女・宮崎ノブ、次女・宮崎澄喜子、三女・宮崎澄江、四女「宮崎てい」の4人。

(注釈:宮崎祐吉の祐は「示」編に「右」だが表示できないので、「祐」を使用した。)

宮崎芳太郎

宮崎駿の伯父・宮崎芳太郎は、宮崎富次郎の長男で、「宮崎製作所」の経営を引き継ぎ、「宮崎富次郎」の名前を襲名した。

宮崎富次郎の死後、中島飛行機の下請け工場「宮崎航空機製作所」を設立して社長を務めた。

宮崎勝次(みやざき・かつじ)

宮崎駿の父・宮崎勝次は、大正3年(1914年)1月2日に東京都墨田区亀沢町で、宮崎富次郎の次男として生まれた。

東京府立第三中学校から早稲田大学へ進み、卒業後は祖父・宮崎富次郎の工場に就職した。

祖父・宮崎富次郎の死後、兄の宮崎芳太郎と共に「宮崎航空機製作所」を設立。社長を務めていた兄の宮崎芳太郎が肺結核になったので、父・宮崎勝次が「宮崎航空機製作所」の実質的な社長を務めた。

「宮崎航空機製作所」は、ピーク時には従業員2800人を抱える規模を誇ったが、戦後は「帝国製麻(帝国繊維)」に売却されたという。

宮崎美子(みやざき・よしこ)

宮崎駿の母・宮崎美子は、山梨県で明治43年(1910年)10月14日に山梨県で、朝日新聞の地方記者・山本又左衛門の長女(1男3女)として生まれた。

この山本家は武田勝頼の家来の家系で、武田勝頼が織田信長に敗れたとき、武田勝頼の墓を守るために土着して百姓になったという。

宮崎新(みやざき・あらた)

宮崎新は、昭和13年(1938年)7月6日に宮崎勝次の長男として生まれた。

宮崎駿(みやざき・はやお)

宮崎駿は、昭和16年(1941年)1月5日に東京都墨田区本所石原町で、宮崎勝次の次男として生まれた。

幼少期から絵を描くことが好きで、手塚治虫の漫画に熱中し、漫画家を志したが、東映動画に入社してアニメーターに転身。高畑勲と出会い、後に「ルパン三世・カリオストロの城」「風の谷のナウシカ」「となりのトトロ」などを手がけた。

詳しくは「宮崎駿の立志伝」をご覧ください。

宮崎裕(みやざき・ゆう)

弟の宮崎裕は昭和19年(1944年)1月に栃木県で生まれた。

宮崎至朗(みやざき・しろう)

末弟の宮崎至朗は昭和21年(1946年)6月生に栃木県で生まれた。

大田朱美(おおた・あけみ)

宮崎駿の妻・大田朱美は、昭和13年(1938年)1月5日に兵庫県で生まれた。父親は版画家の大田耕士である。

大田朱美は「東映動画」のアニメーターで、共働きを条件に宮崎駿と結婚したが、宮崎駿に頼まれ、子育てのためにアニメーターを引退した。

大田朱美については「大田朱美の立志伝」をご覧ください。

宮崎吾朗(みやざき・ごろう)

宮﨑吾朗は、昭和42年(1967年)1月21日に東京都で、宮崎駿の長男として生まれた。信州大学農学部森林工学科を卒業後、「森緑地設計事務所」に入社して建築コンサルタントとして、公園などの設計を手がけた。

その後、「スタジオジブリ」の「三鷹の森ジブリ美術館」を手がけるため、「森緑地設計事務所」を退社して「スタジオジブリ」へ入社し、「三鷹の森ジブリ美術館」のデザインを手がけた。

また、2006年7月公開のアニメ「ゲト戦記」では監督・脚本を手がけた。

宮崎敬介(みやざき・けいすけ)

宮崎敬介は、昭和45年(1970年)に埼玉県所沢市で宮崎駿の次男として生まれ、武蔵野美術大学造形学部を卒業後、版画家として活動している。

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