べっぴんさん-板東すみれ(芳根京子)がモンペに刺繍をする理由

HNKの朝ドラ「べっぴんさん」で、板東すみれ(芳根京子)がモンペに刺繍をする理由のネタバレ解説です。

べっぴんさん-板東すみれ(芳根京子)がモンペに刺繍

朝ドラ「べっぴんさん」で、女学生になった坂東すみれ(芳根京子)はカラフルなモンペを履き、さらにはモンペに四つ葉のクローバーの刺繍をしていた。

実は、板東すみれ(芳根京子)らがモンペに刺繍をしてお洒落にするには、理由があるのと思う。

そこで、私なりの解釈で、板東すみれ(芳根京子)がモンペでお洒落をする理由を解説してみる。

板東すみれ(芳根京子)がモンペに刺繍をする理由

戦時中は和服が禁止され、女性は「婦人標準服」が制定された。モンペは婦人標準服の活動衣の1つで、女子挺身隊がズボンをはき、それ以外の女性がモンペをはいた。

このモンペは野暮ったいとか地味とか、悪いイメージが多いが、そうしたモンペに抵抗したデザイナーが居た。

それが、後に「皇后さまのデザイナー」となる神戸のデザイナー田中千代の2人である。

田中千代はモンペを履かなかったうえ、和服の生地でモンペを作ったり、ゆったりとさせてスラックス風のモンペを作ったりして、許される範囲でモンペに改良を加えた。

さらに、上着のブラウフに、浴衣地やカスリを用いて、限られた範囲で工夫を凝らしてお洒落をしていた。

これが女性に大好評で、「作り方を教えて欲しい」という声が続出した。

そこで、田中千代は厚生省の依頼を受け、昭和17年(1942年)に大阪の各所で婦人標準服講座を開いた。さらに、昭和18年(1943年)には大阪市主催の講演会「女性の衣生活」で改良モンペの作り方を紹介し、改良モンペが広まっていった。

また、「立体裁断の鬼」と呼ばれたデザイナー伊藤茂平も、詳しい逸話は残っていないものの、モンペに抵抗したと伝わる。

そして、この改良モンペの話しが、どうして朝ドラ「べっぴんさん」に繋がるか。

実は、板東すみれ(芳根京子)のモデルとなるファミリア創業者・坂野惇子は、「立体裁断の鬼」と呼ばれた伊東茂平の洋裁学校を卒業している。

さらに、ファミリア創業者・田村江つ子(田村枝津子)は、「皇后さまのデザイナー」となる神戸のデザイナー田中千代に洋裁を学んでいるのだ。

また、田中千代は、坂野惇子の父・佐々木八十八が創業した佐々木営業部(レナウン)ともつながりが有り、神戸にある田中千代の洋裁学校を卒業した生徒が、ファミリアの製造部門に続々と入社しており、田中千代はファミリアと縁が深い。

だから、朝ドラ「べっぴんさん」で、板東すみれ(芳根京子)らがカラフルなモンペを履き、モンペに刺繍をして楽しむというシーンから、田中千代や伊藤茂平がモンペに抵抗したという歴史的な背景を感じ取ることができるのである。

ただし、この解説は、私が朝ドラ「べっぴんさん」を見て、私が脚本を書くのなら、モンペのシーンにこうした意味をもたせるだろうと思ったことであり、この解説が正しいかどうかは分からない。

なお、朝ドラ「べっぴんさん」のネタバレや解説は「朝ドラ『べっぴんさん』のネタバレ」をご覧ください。

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