浪花千栄子の父・南口卯太郎の立志伝

NHKの朝ドラ「おちょやん」のモデルとなった浪花千栄子の父・南口卯太郎の立志伝です。

南口卯太郎の立志伝

南口家は武士の家系で、南口卯太郎の父の時代に、明治維新を迎えて大阪府富田林市東板持町へ移り住み、帰農したようだ。

南口卯太郎の誕生日は不明だが、長女・浪花千栄子(南口キクノ)の誕生日が明治40年(1907年)11月19日なので、明治時代前半の生まれだろう。

さて、南口卯太郎は大阪府富田林市東板持町で養鶏業を営んでいた。養鶏のコンクールで賞を取るほどの名人だったが、鶏の行商で生計を立てており、非常に貧しい生活をしていた。

しかし、歌舞伎役者の羽左衛門に似た美男子で、女性からはモテたようで、代々、庄屋を務める旧家の娘・南口キクと結婚した。

当時としては珍しい恋愛結婚で、家柄の違いから、妻・南口キクは親戚中から反対されたが、反対を押し切って結婚したので、妻方の親戚とは付き合いが無かったという。

さて、浪花千栄子は、父親について、次のように語っている。

「父はわがままいっぱいの暴君で、潔癖屋で、几帳面屋でした。薪で焚くお鍋はまっくろになります。それを洗ったあと、底までなでまわし、ちょっとでも鍋ズミが残っていようものなら、『なんじゃ、この洗い方は』と怒鳴り、洗いなおさせるのでした」

しつけには厳しく、浪花千栄子が音を立ててお粥を食べていると、南口卯太郎は「静かにたべい」と言い、箸箱で浪花千栄子の手を叩いて注意する。

そんなとき、妻・南口キクが浪花千栄子を手の届かないところへと押しやり、庇うのだった。

さて、妻・南口キクは、浪花千栄子と3歳下の長男を出産したが、浪花千栄子が4歳の時に死んだ。

南口卯太郎は行商に出ると、長男の面倒を見る人間が居なくなるため、浪花千栄子を小学校へ入れず、長男の面倒をみさせた。

浪花千栄子を小学校へ行かせない代わりに、厳しくしつけた。浪花千栄子は、ご飯粒1粒を無駄にしただけで、半殺しにされたという。

そのようななか、南口卯太郎が飲み屋で仲居をしていた女性を口説き落として、再婚したので、ようやく浪花千栄子は小学校へ通えるようになった。

しかし、南口卯太郎は「お母さんに言いなさい」と言い、月20銭の授業料を出さない。後妻も「お父さんに言いなさい」と言って授業料を出さない。

このため、先生から怖い顔で授業料を催促されていた浪花千栄子は、先生の顔を思い出して、学校へ行くのをやめたのだった。

さて、後妻は度々、家出するので、南口卯太郎は家出の度に後妻を追いかけていき、連れ戻すのだが、その度に後妻は家に戻る条件を出したようだ。

何度目かの家出のとき、後妻は連れ子を連れて戻ってきて、浪花千栄子らとは暮らしたくないと言うので、南口卯太郎は浪花千栄子と長男を前妻の母に預けた。

しかし、前妻の母は、子供を2人も預けられて困り、南口卯太郎には秘密にして、浪花千栄子を大阪・道頓堀の仕出し料理屋「浪花料理」へと奉公に出したのだった。

それから8年後、南口卯太郎は、浪花千栄子の奉公先を知り、「浪花料理」に現われ、浪花千栄子に、事業を興すのでお金を貸して欲しいと頼んだ。事業を興すというのは嘘で、女に使う金をせびりに来たようだ。

しかし、浪花千栄子は、「何の役にも立たないので、給料は要りません。食事と着る物だけ面倒見てください」という条件で、奉公をしていたため、貯金など無かった。

浪花千栄子に作ってもらった着物を出させると、着物1枚だけだったので、南口卯太郎は怒って「警察に訴える」と言い出した。

すると、間に入る人が居て、「浪花料理」が退職金代わりに15円を出した。

15円を手に入れた南口卯太郎はホクホク顔で、浪花千栄子を連れて帰り、富田林の作り酒屋へ奉公に出したが、給料の前借りに行ったのが悪かったのか、浪花千栄子は直ぐにクビになってしまった。

南口卯太郎は、これで学習したのか、今度は給料2年間の前払いの契約で、浪花千栄子を木材屋へ奉公に出したのだった。

それから、2年1ヶ月後、浪花千栄子は木材屋の女将さんから、「お父さんが給料を取りに来ない。今後、年払いにするのか、月払いにするのかわからないけど、1ヶ月、働いてくれたので、1ヶ月分の給料を渡しておきます」と言われ、1ヶ月分の給料12円を受け取った。

浪花千栄子は、給料を貰えないので、女将さんが貯金して、結婚する時にまとめて給料をくれるのだと思っていたのだが、父親に給料を搾取されていたことを知って驚いた。

このため、浪花千栄子は、このままでは父親に搾取し続けられると思い、初めて手にした給料12円を持って、京都へと逃げたのだった。

その後、南口卯太郎については詳しい事は分らない。

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