日清焼そばUFOの意味や語源や由来や歴史の違い

日清食品が発売する袋麺「日清やきそば」とカップラーメン「日清焼そばUFO」の意味や語源や由来や歴史の違いを紹介します

日清焼そばの歴史

カップラーメン「日清焼そばUFO」は、即席麺「日清焼そば」をカップに入れただけの商品と思っている人も多いが、麺もソースも違い、開発の経緯も違うので、「日清焼そばUFO」の開発の経緯を紹介する。

先に誕生したのは、袋麺「日清やきそば」で、発売は即席ラーメン「チキンラーメン」から5年後の昭和38年(1963年)7月2日である。

日清食品は業界トップメーカーだったが、この時代の技術では、即席ラーメンを作る時に、大量の割れ麺(クズ麺)が発生しており、日清食品でも大量の割れ麺が発生していた。

割れ麺は販売できないので、日清食品ではチキンラーメンの割れ麺を食堂に置いておき、従業員が食べていた。

日清食品の研究所でもチキンラーメンの割れ麺を食べており、研究所は割れ麺を再利用できないかと考えていた。

そのようななか、日清食品の研究所の所員が、鍋にチキンラーメンの割れ麺と水を入れて火にかけたまま、少し席を外した。

そして、所員が戻ってくると、鍋のチキンラーメンは水分が飛び、カラカラになり、焦げていた。

所員は失敗したと思ったが、食べてみると美味しかった。そして、チキンラーメンが焦げており、見た目が焼そばのようだったので、即席麺で「焼そば」をつくることを思いつき、「日清焼そば」の開発が始まった。

最初はチキンラーメンと同じように、麺に味を付けた「味付け麺」で開発していたのだが、上手くいかなかったので、麺とスープを分けた「スープ別添付方式」を採用した。

そして、フライパンに水を入れて焼きながら麺を戻すという方法を確立し、「日清焼そば」を完成させたのである。

こうして、日清食品は昭和38年(1963年)7月2日に即席麺「日清焼そば」を発売したのだが、当時は即席ラーメンといえば、汁物のラーメンばかりだったので、汁の無い焼そばタイプは理解されず、消費者は汁物の即席ラーメンと同じように作ってしまい、日清食品に「腐っている」などと苦情が来て、全然、売れなかった。

そこで、日清食品の社長・安藤百福(呉百福)が、即席麺「日清焼そば」の宣伝やキャンペーンを展開すると、即席麺「日清焼そば」が理解されていき、少しずつ売れ始め、翌年の昭和39年(1964年)の夏から本格的に売れるようになった。

汁物の即席ラーメンは夏場になると売り上げが落ちるのだが、汁の無い「日清焼そば」は夏場でも飛ぶように売れたので、冬はラーメン、夏は焼そばというスタイルが定着することになる。

ちなみに、おやつカンパニーの「ベビースターラーメン」も、製造工程で発生していた割れ麺を従業員に配っており、配っていた割れ麺を商品化したものである。

日清焼そばUFOの意味と開発の経緯

「日清焼そばUFO」が発売されたのは、「日清焼きそば」の発売から12年後の昭和51年(1976年)5月で、「カップヌードル」の発売から5年後のことである。

前年の昭和50年(1975年)3月に、まるか食品がカップ麺「ペヤングソース焼きそば」が発売しており、昭和50年にカップ焼きそばが大流行した。

また、昭和50年に東洋水産がカップ麺「マルちゃんのカップ天ぷらそば」「マルちゃんの力ップうどんきつね」を発売して大ヒットさせた。

このとき、日清食品はインスタントラーメン業界のトップだったが、袋麺のトップはサンヨー食品に明け渡し、カップラーメンの売り上げに頼っていた。

しかも、このとき、日清食品のカップラーメンは「カップヌードル」しかなく、カップ焼きそば・カップうどんに対抗できる商品は無かった。

そこで、日清食品の社長・安藤百福(呉百福)の次男・安藤宏基が、カップ焼きそば・カップうどんの開発に乗り出した。

マーケティングを重視する次男・安藤宏基は、調査の結果、「焼そばは皿で食べるもの。うどんは丼で食べるもの」という当たり前の結果が出たので、焼そばの容器を皿型、うどんの容器を丼型に決めた。

そして、安藤宏基は、焼そばは炒めた時の香りで食べるものだと言い、「1ヶ月に何回も食べたくなるガツーンとくるに匂いしてくれ」と注文し、強力な匂いのソースを完成させた。

商品名の「日清焼そばUFO」は思わぬところから、生まれた。色々な容器を作ったので、安藤宏基が容器を飛ばして遊んでいると、その1つがUFO(未確認飛行物体)のように見えた。

超能力者ユリゲラーのスプーン曲げブームに続いて、昭和50年(1975年)ころから、日本でUFOブームが起きていたので、「日清焼そばUFO」という名前が決まった。

しかし、商品化に際して、マーケティングが嫌いな社長・安藤百福(呉百福)が、「日清焼そばUFO」の発売に反対した。

日清食品の社長・安藤百福(呉百福)は、「日清焼そばUFO」という名前には何も言わなかったが、カップヌードルよりも原価が高いことを理由に反対したという。

ただし、別説では、社長・安藤百福(呉百福)は「UFO」という名前がダメで、皿型の器も陳列したときに場所をとるという理由で、「日清焼そばUFO」に反対したという。

しかし、次男・安藤宏基が一歩も引かなかったので、1億5000万円の設備投資が5000万円に減額されたが、社長・安藤百福(呉百福)が折れる形で販売が決まった。

こうして、「日清焼そばUFO」は昭和51年(1976年)5月に発売されると、UFOブームの影響もあって、初年度で7000万食を売り上げ、焼きそば部門のトップに立った。

さらに、翌年の昭和52年(1977年)にピンクレデイーの曲「UFO」や映画「未知との遭遇」「スター・ウォーズ」の大ヒットした影響もあり、「焼きそばUFO」はUFOブームの波に乗って売り上げを伸ばし、トップブランドの地位を確立したのである。

このように、「日清やきそば」と「日清焼そばUFO」の開発の経緯は全く違い、ソースも麺も、それぞれに異なっている。

日清焼そばUFOの意味や語源と由来

日清食品の公式HPでは「U.F.O.」は「うまい」「太い」「大きい」の略だと紹介されており、ニュースサイトはUFO(未確認飛行物体)の由来説を否定している。日清食品がUFO(未確認飛行物体)由来説を否定したのだという。

しかし、「日清焼そばUFO」と名付けた安藤宏基が、飛ばした容器が未確認飛行物体のUFOに見えたたことや、当時のUFO(未確認飛行物体)ブームが起きていたことから、「日清焼そばUFO」と命名したと証言しており、UFO(未確認飛行物体)が由来になっているのは紛れもない実話である。

では、なぜ、このような事態になっているのか。理由は簡単に想像できる。日清食品がUFO(未確認飛行物体)由来説を否定する理由は、商標という大人の事情だろう。

実は、昭和51年(1976年)5月に「日清焼そばUFO」を販売する直前に、「UFO」に著作権と商標権があることが判明し、新婚旅行をしていた安藤宏基が新婚旅行を中断して帰国し、商標の使用料を払って「日清焼そばUFO」の発売にこぎ着けたというエピソードが残っている。

しかし、その後、日清食品は、契約の更新を止めたのか、契約できなくなったのか、何らかの問題が発生し、「UFO」を使用できなくなったのだろう。

その証拠に、「日清焼そばUFO」という表記が、平成9年(1997年)発売の「日清焼そばU.F.O.」から「UFO」の間に「.(ドット)」が入るようになった。

あくまでも私の予想だが、何らかの問題で「UFO」が使えなくなったので、「U.F.O.」にして、商標権の問題を回避したと考えるのが自然だろう。

したがって、日清食品としても、「UFO(未確認飛行物体)」という言葉が使用できないので、「U.F.O.」は「うまい」「太い」「大きい」の略ということにしたのだと考えられる。

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