尾上設蔵の生涯

王室御用達の子供服ブランド「ファミリア」の創業者・坂野惇子の関係者として、戦前の佐々木営業部(レナウン)の支配人として活躍した尾上設蔵の生涯を紹介します。

尾上設蔵の生涯

尾上設蔵(おのえ・せつぞう)は、明治20年(1887年)10月14日に兵庫県で尾上興三郎(もしくは尾上与三郎)の次男として生まれた。

正しくは「おのえ・せつぞう」であり、「おのうえ・せつぞう」「おがみ・せつぞう」と読むのは間違い。

尾上設蔵は銀行家を目指して大阪へ出たが、世話人の紹介で、佐々木八十八が創業した「佐々木営業部」(後のレナウン)に入社した。

明治43年(1910年)に兄・昇之助方から別れて一家を起こし、明治44年(1911年)に和歌山県の木寺岩吉の長女・木寺トミと結婚した。

尾上設蔵は計算に秀でていたので、佐々木営業部(レナウン)の創業者・佐々木八十八に見いだされて、26歳という若さで佐々木営業部の番頭(支配人)に抜擢され、佐々木八十八の右腕とした活躍した。

レナウンの商標

皇太子裕仁親王(昭和天皇)が大正10年(1922年)3月からヨーロッパ外遊を行い、その返礼として翌年の大正11年にイギリスのエドワード・アルバート皇太子が来日した。

このとき、エドワード・アルバート皇太子の御召艦が巡洋戦艦「レナウン」で、水平の帽子に「レナウン」という横文字が入っていた。

西洋好きの佐々木八十八はこれを見て、「レナウン」という横文字を気に入り、「レナウン」を商標にする事を思いついた。

このとき、尾上設蔵が「レナウン」の商標取得に奔走し、佐々木営業部は大正12年(1923年)に「レナウン」の商標を取得した。

佐々木営業所の実質的経営者に

佐々木営業部(レナウン)を創業した佐々木八十八は、先見の明があり、資本と経営の分離を考えていたので、佐々木営業部を支配人(番頭)の尾上設蔵に任せて政界へ進出し、大正12年(1923年)に大阪市東区区会議員となった。

以降、支配人の尾上設蔵が佐々木営業部の実質的な経営者となり、佐々木営業部を切りもりした。

その後、佐々木八十八は昭和6年(1931年)8月31日に貴族院議員になって政界へ進出し、貴族院が廃止される昭和22年(1947年)5月2日まで貴族院議員を務めた。政治家としても優秀で、文部大臣を要請されたほどであった。

佐々木営業所の業績拡大

大正12年(1923年)9月1日に関東大震災の発生し、関東で経済混乱が発生すると、関東の問屋は慣習となっていた手形取引を一方的に中止し、百貨店に現金取引を要求したため、百貨店と問屋の関係は険悪になった。

しかし、尾上設蔵は、こうした経済混乱期でも、従来通りの手形取引を続け、百貨店からの信用と信頼を勝ち取り、問屋を嫌った百貨店からの注文が殺到した。そして、百貨店が復興するにつれ、佐々木営業所の業績も拡大していった。

やがて、佐々木営業部(レナウン)は輸入品のメリヤスだけでは足りなくなってきたため、大正15年(1926年)に製造部門「レナウンメリヤス工業」を設立して高級メリヤス自社生産を開始し、輸入から国産メリヤスへと切り替えた。

尾上設蔵の死去

佐々木営業部(レナウン)は昭和13年(1938年)に東京・大阪の佐々木営業部(レナウン)を統合し、名実ともにメリヤス界のトップとなる。

さらに、日中戦争にともなう国策の影響で天津や上海に子会社を設立して海外進出を果たした。尾上設蔵は忙しく各地を飛び回っていたが、昭和15年(1940年)に死去した。享年54歳。

その後、佐々木営業部(レナウン)は第2次世界大戦中に国策で行われた企業整理により、江商に吸収合併され、事実上の消滅となるが、戦後、長男の尾上清が佐々木八十八の意を受けて、江商から佐々木営業部(レナウン)を独立・復興させた。

佐々木営業部との関係

創業者・佐々木八十八が政界へ進出して以降、尾上設蔵が実質的な佐々木営業部(レナウン)の経営者だったが、佐々木営業所(レナウン)はあくまでも佐々木家からの預かり物と考えていた。

戦後、佐々木営業所を独立・復興した長男・尾上清も、親子二代にわたり佐々木家に仕えているとして、佐々木家に感謝し、佐々木家とは「主従の関係にある」と公言している。

尾上設蔵とデザイナー田中千代との関係

昭和11年(1936年)ごろ、尾上設蔵の次女・尾上寿美子は、デザイナー田中千代の洋裁教室「皐会(さつきかい)」に通っていた。

当時の洋裁は、女性のお稽古の1つに過ぎなかったが、次女・尾上寿美子の洋裁があまりにも本格的だったので、尾上設蔵は驚いて洋裁教室「皐会(さつきかい)」を見学した。

すると、皐会の生徒が熱心に洋裁をしていたので、尾上設蔵は感心して、デザイナー田中千代に三越百貨店で発表会を開催際することを勧め、皐会は三越百貨店で発表会を開催した。

これが縁で、デザイナー田中千代は佐々木営業部の子供服のデザインを手がけたほか、昭和22年(1947年)には佐々木営業部にデザインルームを開設する。

さらに、デザイナー田中千代は、昭和22年(1947年)10月に佐々木営業部の主催で、戦後初となるファッションショーを開催している。

尾上設蔵の家族と子孫

尾上設蔵の情報
生年月日明治20年(1887年)10月14日
死去日昭和15年(1940年)
死去年齢享年54
尾上興三郎
尾上昇之助
尾上トミ(木寺トミ)/木寺岩吉の長女/明治19年2月生まれ
長男尾上清/レナウンの社長・会長
長女尾上恵美子
長女尾上寿美子/レナウン会長・伊藤安衛 の妻

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