べっぴんさん-オライオンの実在のモデルはレナウン

NHKの朝ドラ「べっぴんさん」に登場する「オライオン」の実在のモデルについて紹介します。

べっぴんさんのオライオン

朝ドラ「べっぴんさん」に登場する「オライオン」は、坂東五十八(生瀬勝久)が創業した坂東営業部の紳士服ブランドの名前です。

紳士服ブランド「オライオン」は戦争の影響で消滅していたが、戦後、野上潔(高良健吾)が婦人服の流行に目を付け、消滅していた紳士服ブランド「オライオン」を婦人服ブランドとして復活させた。

野上潔(高良健吾)は婦人服ブランド「オライオン」を大急百貨店へ売り込もうとしたが、大急百貨店の社長・大島保(伊武雅刀)から「紳士服なら良いが、実績の無い婦人服は大急特選マークは与えられない」と言われてしまう。

しかし、野上潔(高良健吾)は、婦人服のデザイン教室などの企画を成功させ、オライオンの大急百貨店進出を果たし、売上げを伸ばしていった。

そのようななか、闇市時代の弟分・岩佐栄輔(松下優也)が現れる。なんと、岩佐栄輔(松下優也)はアメリカから帰国して、若者向けブランド「エイス(AIS)」を創業し、エイスを若者から絶大な人気を誇るファッションブランドへと成長させていた。

ちょうど、野上潔(高良健吾)は婦人服ブランド「オライオン」を若者向けに進出しようとしていた。

それを知ったエイスは、野上潔(高良健吾)にエイスのデザインブックを見せ、「うちには優秀なデザイナーが居る」と指摘し、オライオンの若者向け進出は無謀だと警告した。

エイスのデザインブックを見た野上潔(高良健吾)は、デザイン力の違いを知り、若者向けへの進出を断念する。

しかし、オライオンは強力な販売網をもっていたことから、舎弟は「エイスが服を作って、オライオンの店で販売する」という業務提携を持ちかけた。

野上潔(高良健吾)は苦悩したが、「1歩1歩大きくなっていくことが大切だ」と言い、舎弟からの業務提携の話しを断ったのであった。

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オライオンのモデルはレナウン

皇太子裕仁親王(昭和天皇)が大正10年(1922年)3月からヨーロッパ外遊を行い、その返礼として翌年の大正11年(1922年)の4月から5月にかけイギリスのエドワード・アルバート皇太子が来日しました。

このとき、エドワード・アルバート皇太子の御召艦が巡洋戦艦「レナウン」でした。

佐々木営業部(レナウン)の創業者・佐々木八十八は、巡洋戦艦「レナウン」の水兵の帽子に「RENOWN」という文字が入っているのを見て気に入り、大正12年に「レナウン」の商標を取得しました。

このとき、戦艦「オライオン」も随伴して来日しており、朝ドラ「べっぴんさん」に登場するブランド名「オライオン」は、佐々木八十八が巡洋戦艦「レナウン」から商標を取ったエピーソードをネタ元にしているのだと考えられます。

また、野上潔(高良健吾)モデルとなった尾上清が、白髪だったことから「ホワイトライオン」と呼ばれており、この「ライオン」という部分も引っかけてあるのだと思います。

なお、レナウンの商標については、当時の新聞がレナウン号の事を大きく取り上げていたことから、佐々木八十八の右腕・尾上設蔵が宣伝効果を狙って「レナウン」という商標を取得したという立志伝も残っています。

さて、佐々木営業は、メリヤスを輸入に頼っていたのですが、国産の技術が向上したことを受け、国産に切替えたのですが、品質を一定に保つ必要があることから、自社生産に踏み切り、大正15年にレナウン・メリヤス工業を設立し、レナウンという名称を使用し始めました。

しかし、第2次世界大戦のとき、レナウン・メリヤス工業は、横文字が敵性語とされたため、「東京編織株式会社」へと社名変更を余儀なくれ、「レナウン」という商標も使えなくなりました。

また、佐々木営業部も第2次世界大戦のとき、戦時中の企業整備によって江商(兼松)に吸収合併されて消滅しました。

ただ、東京編織(レナウン・メリヤス工業)は、軍用品の生産工場として残し、ボロボロになりながらも、一応、存続しました。

戦後、尾上清が、創業者・佐々木八十八の意を汲んで佐々木営業部を再発足させることになります。

尾上清は、まず、昭和21年(1946年)に東京編織を再開させ、次いで、昭和22年(1947年)に江商(兼松)から佐々木営業部(レナウン)を独立させました。

さらに、昭和27年(1952年)東京編織を「レナウン工業」へと改名して「レナウン」という名称を復活させ、昭和30年に佐々木営業部を「レナウン商事」へと改名しました。

このようななか、社長・尾上清は、いち早くテレビ時代の到来を予期し、昭和40年代にテレビCM「レナウン娘」を放送して一気に知名度を上げました。

レナウンは、百貨店向けメリヤス問屋として成長してきたことから、売上げのほとんどは百貨店だったのですが、小売店の需要を察知し、全国に販売網を形成していき、一流企業へと発展してしきます。

そして、昭和47年(1972年)にレナウン商事とレナウン工業が合併して、現在の「レナウン」が誕生したのです。

ところで、佐々木営業部(レナウン)から独立したAが、アイビールックの「VAN」を創業しており、昭和30年代後半に若者から絶大な支持を得ていました。

しかし、VANはあくまでも若者向けブランドであり、20代や30代まではカバーしていなかった。

このころ、紳士服に有力なブランドが存在していなかったので、個々に着目した尾上清は、紳士服に進出するため、VANの石津に業務提携を持ちかけました。

しかし、石津は兄貴分である尾上清からの提案を辞退する形で断ってしまいます。

そこで、尾上清は大阪の高級紳士服製造「ニシキ」と提携し、昭和45年に紳士服製造「レナウンニシキ」を設立し、昭和47年に「ダーバン」へと改組したのです。

ダーバンは、フランスの俳優アラン・ドロンを起用したCMで絶大な人気を誇り、日本有数の紳士服ブランドへと成長しました。

こうして、レナウンは日本有数のアパレルメーカーに成長したのですが、平成21年(2009年)に中国系企業の傘下に入りました。

なお、朝ドラ「べっぴんさん」の登場人物の実在のモデル一覧は「べっぴんさん-登場人物・キャスト・モデルまとめ」をご覧ください。

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