べっぴんさん-小澤勝二(田中要次)のモデルは田村寛次郎

朝ドラ「べっぴんさん」に登場する小澤勝二(おざわ・かつじ/田中要次)の実在のモデルを紹介します。

べっぴんさんの小澤勝二(田中要次)

小澤勝二(おざわ・かつじ/田中要次)は船舶会社に勤務しており、坂東すみれ(芳根京子)の友人・多田良子(百田夏菜子)とお見合い結婚する。

小澤勝二(田中要次)は妻・多田良子(百田夏菜子)と年齢が離れており、妻・多田良子(百田夏菜子)に遠慮がちな性格である。

結婚後、長男・龍一に恵まれたが、戦況が悪化したため、召集され、妻と子を残して戦地に赴くことになる。

戦後、小澤勝二(田中要次)は消息不明になり、不安な生活を送っていた妻・多田良子(百田夏菜子)は、坂東すみれ(芳根京子)と再会し、坂東すみれ(芳根京子)に誘われて子供服店を創業する。

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小澤勝二(田中要次)の実在のモデルは田村寛次郎

田村寛次郎は、大正3年(1914年)2月に、繊維問屋「田村駒」を創業した田村駒治郎の次男として生まれた。

妻の田村江つ子(榎並江つ子)は大正8年(1919年)2月生まれなので、夫・田村寛次郎が5歳上である。

田村寛次郎は、京都帝国大学経済学部を卒業して大日本紡績(ユニチカ)に就職し、真珠湾攻撃が行われる前年の昭和15年(1940年)に田村江つ子(榎並江つ子)と結婚した。

その後、兄の2代目・田村駒治郎に請われて繊維問屋「田村駒」に就職。第2次世界大戦の時に召集され、中支(中国の中部地方)へ派遣されたが、戦後、無事に帰国した。

戦後、「田村駒の田村駒治郎を逮捕!田村寛次郎の立志伝」で紹介したように、2代目・田村駒治郎が逮捕や公職追放を受けたため、田村寛次郎が社長代行として田村駒を切り盛りし、戦後の苦しい時期を切り抜けた。

そうした一方で、妻の田村江つ子(榎並江つ子)が坂野惇子(佐々木惇子)に誘われて子供服展を創業することになると、大いに賛成し、子供服展の創業に協力した。

その後、2代目・田村駒治郎は公職追放が解除され、田村駒に復帰し、田村駒は順調に業績を上げていったが、「田村駒の粉飾決算-ファミリアの坂野惇子が社長を拒否」で紹介したように、田村駒は朝鮮戦争終結に伴う繊維相場の乱高下の影響を受けて大きな損害を出してしまう。

さらに、田村駒は不況の影響で赤字を拡大していき、ついに三和銀行(三菱東京UFJ銀行)に支援を要請し、三和銀行の傘下に入った。

2代目・田村駒治郎は、なんとか名目上の社長に留まり、田村駒の再建に向けて奔走していたが、社長在任中の昭和36年(1961年)1月21日に死去してしまう。

2代目・田村駒治郎の死去すると、田村駒は三和銀行など支援企業によって運営されるようになり、田村家の手から離れたので、田村家の田村寛次郎と田村陽(飯田陽)は田村駒を辞めて、妻らが創業した「ファミリア」へと移った。

なお、朝ドラ「べっぴんさん」の登場人物の実在のモデル一覧は「べっぴんさん-登場人物・キャスト・モデルまとめ」をご覧ください。

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