佐々木八十八の貴族院議員の在任期間について

当サイト「立志伝」からの訂正報告です。今回は、佐々木八十八の貴族院議員の在任期間について訂正したので、その経緯を報告いたします。

当サイト「立志伝」は、「佐々木八十八の立志伝」で、佐々木八十八の貴族院議員の在任期間を「昭和21年(1946年)まで」と表記していました。

これは、レナウンの公式サイトの沿革に「1923年(大正12年)大阪市東区区会議員となり、事業は後進に任せ第一線を退く。1931年(昭和6年)に貴族院議員になり、貴族院が廃止される1946年(昭和21年)まで勤める」と記載していたからです。

しかし、当サイト「立志伝」が「貴族院が廃止されたのは昭和22年(1947年)ではないか」と疑問に思って調べてみたところ、佐々木八十八は貴族院が廃止される昭和22年(1947年)5月2日まで貴族院議員として登録されていることが判明しました。

しかし、別の資料では、レナウンの公式サイトの通り、佐々木八十八の在任期間は昭和21年(1946年)までとなっているものもありました。

そこで、「実質的には昭和21年(1946年)まで活動していたが、書類上は昭和22年(1947年)5月2日まで登録されていたのではないか」という推論に至りました。

昭和21年はGHQによる公職追放が行われたので、佐々木八十八は公職追放(パージ)を受けたか、公職追放に準ずる形で辞任した可能性が考えられます。

本来なら、もう少し調査する所なのですが、現在「ァミリア創業者-坂野惇子(佐々木惇子)の生涯」と「ファミリアの社長-坂野通夫の生涯」を平行して書いているため、時間が足りません。

そこで、佐々木八十八の在任期間については公式な在任期間である「昭和22年(1947年)5月2日まで」で統一しておき、昭和21年説については、時間が出来たら、詳しく調べることにしました。

なお、公式な記録としては、佐々木八十八は、相互選によって多額納税者議員として選出され、在任期間は1931年(昭和6年)8月31日から昭和22年(1947年)5月2日まです。所属会派は「同和会」でした。

この同和会は、第44代内閣総理大臣・幣原喜重郎の実質的な与党で、佐々木八十八は幣原総理から文部大臣への就任を要請されたという逸話もありすが、実話かどうかは分かりません。

スポンサードリンク