エール・佐藤久志のモデル伊藤久男の妻と子供

NHKの朝ドラ「エール」の「プリンス佐藤」こと佐藤久志(山崎育三郎)のモデルとなった藤久男の結婚相手や子供の紹介です。

佐藤久志のモデルは伊藤久男

朝ドラ「エール」の佐藤久志(山崎育三郎)は、東京帝国音楽学校で女性とから黄色い声援を受けて「プリンス佐藤」の異名をもち、まさに音楽界の貴公子である。

では、プリンス佐藤のモデルとなった伊藤久男は、どのような女性と結婚して、どのような生涯を過ごしたのだろうか。

モデルの伊藤久男は、帝国音楽学校に通っていたのだが、このとき、まだ童貞だった。

伊藤久男が童貞を卒業したのは、歌手になってから、「歌手のくせに童貞なんてけしからん」と言われ、遊郭に連れて行かれ、童貞を喪失した。

伊藤久男は、それから坂道を転がり落ちる如く、芸者遊びにお金を使ったので、稼いでも稼いでも、お金は残らなかったという。

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1度目の結婚相手

伊藤久男は生涯で3度、結婚している。1度目の結婚相手は、帝国音楽学校の同級生だった。恋愛結婚だったが、嫁姑問題で離婚した。

「俺のお袋というのが、ひでえババアでね。まぁ、嫁いびりの天才だな、あれは。最初の女房は、そのために気が変になっちゃった。実家に帰って3年間、療養してお終い。別れたよ」

2人目の結婚相手

伊藤久男の2人目の妻は、芸者歌手の赤坂百太郎(大西ふさ子)である。

赤坂百太郎が「芸者は結婚できないでしょう」と言うので、伊藤久男が「そんなこないよ」と答えたら、赤坂百太郎は、その気になったのだという。

そして、赤坂百太郎とのゴシップが新聞に掲載され、結婚することになった。

「困ったね。そのうち俺と百太郎のことが新聞に出てしまった。それで、コロムビアの社長に呼ばれて、結婚するか、やめるか、どちらかにしろ、と言われて」

こうして、伊藤久男は、2番目の妻・赤坂百太郎と結婚するのだが、どうやら、赤坂百太郎にハメられたようだ。

「あとで聞いたことなんだけど、その新聞記事は百太郎が書かせたんだよ。ワシはまんまといっぱい食わされた」

こんな結婚生活が上手くいくはずがなく、当然、離婚に至る。

「これが嫉妬深い女でね。僕が夜遅く帰ると、洋服のポケットから何まで全部調べる。あれにはまいったな。それで戦争中に福島の田舎に連れて行って、子供と一緒に向こうに置いて、俺だけ東京に逃げてきてやった。あっはっは」

3度目の結婚相手

3度目の結婚相手は、宝塚歌劇団の桃園ゆみか(西山あさの)である。

「宝塚と言ってもコーラスガールだよ。俺が大阪の放送局で歌うとき、後ろで『あーっ』とやっていた。だいたい、あんな顔の長い女は宝塚で一流になれるもんか。馬がカツラをつけたみたいになる」

しかし、伊藤久男は、そんな桃園ゆみか(西山あさの)と恋愛結婚した。

「その後、東京で再会してね。俺は女に上手いことが言えない男で、ブスっとしていたんだが、カカアはそこに惚れ込んだんだな。ただ、感心したのは、百太郎との間に生まれた4人の子供を引き取ると言った事なんだ。それで結婚する気になった」

その後、伊藤久男は3番目の妻・桃園ゆみかとの間に4人の子供に恵まれ、前妻との間に生まれ4人を合わせて、計8人の子供に囲まれて幸せに過ごした。

子供のうち、何人かは歌手の道に進んだが、伊藤久男は一切関与しておらず、各自の責任で勝手にやらせていたという。

晩年、病床に就いた伊藤久男の唯一の楽しみは、孫たちが見舞いに来ることで、「学校を休ませてでも連れてこい」と言っていた。

そんな、伊藤久男は家族に見守られながら、昭和58年(1983年)4月25日に東京都中野区の西武沼袋医院で、肺水腫のために死亡した。73歳だった

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若い歌手へのエール

伊藤久男の歌に勇気を与えられた人も多いと思うが、伊藤久男は「ワシは世の中のために歌おうと思ったことは1回もない。お金のためです。1曲吹き込むと15円。それが欲しくて歌っていただけですよ」と述べている。

紫綬褒章についても、4回も断っていたが、後輩から、上が貰わないと、自分ちの番が来ないと苦情が出たので、貰ったという。

そして、紫綬褒章については「中学校の柔道大会でもらったメダルの方が立派だ」「僕には名誉なんか要りませんよ。これで年金でも貰えるんなら、ま、年金の方は嬉しいけどね、ワシは貧乏だから」と述べている。

そして、伊藤久男は、若い歌手に「人に何を言われても良いから、とにかく金を貯めろ。金を貯めてから、良い人になれ」とエールを送っている。

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