まんぷく-世良商事のモデル

NHKの朝ドラ「まんぷく」に登場する世良商事(せらしょうじ)の実在のモデルの紹介です。

まんぷくの世良商事

NHKの朝ドラ「まんぷく」に登場する世良商事は、世良勝夫(桐谷健太)が経営する個人商社である。

世良勝夫(桐谷健太)は元々は幻灯機の技術者だったが、立花萬平(長谷川博己)が作る幻灯機を見て、絶対に勝てないと思い、技術者の道を諦め、売る方に転身し、世良商事を設立した。

世良勝夫(桐谷健太)は、調子の良い男で、立花萬平(長谷川博己)の才能を認めているが、儲からない時はアッサリと見放してしまうという役どころである。

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世良商事のモデル

NHKの朝ドラ「まんぷく」に登場する「世良商事」や世良勝夫(桐谷健太)のモデルは、安藤百福(呉百福)の商売人の部分だと考えられます。

日清食品のチキンラーメンを取り扱っていた商社という点から考えれば、世良商事のモデルは三菱商事だと考えられるのですが、三菱商事が日清食品に関わってくるのは、チキンラーメンの発売以降であり、それ以前は関わっていません。

そこで、私は、世良商事や世良勝夫(桐谷健太)のモデルは、安藤百福(呉百福)ではないかと考えました。

安藤百福(呉百福)については、発明家という側面ばかりが取り上げられるのですが、実話の安藤百福(呉百福)は商売人としての側面を有していました。

たとえば、一般的には、三菱食品の熱烈な要請により、三菱商事が日清食品のチキンラーメンの取り扱いを開始したとされてします。

しかし、実際は、安藤百福(呉百福)が三菱商事よりも1枚も2枚も上手だったようです。

実話では、三菱商事の大阪支社の穀肥部長・佐南正司は安藤百福(呉百福)の知人に招かれて日清食品の工場を訪れ、チキンラーメンを食べた。

確かにチキンラーメンは美味かったので、こういう物を扱ってみるのも良いだろうと考え、佐南正司は三菱商事でチキンラーメンを取り扱うことを約束した。

すると、安藤百福(呉百福)は佐南正司の了解も得ずに、チキンラーメンの袋に「発売元・三菱商事」と印刷して販売し始めた。

それを知った三菱商事の社長・高垣勝次郎は、佐南正司に電話をかけて「三菱の社名を商品に入れる時は、三菱グループの社長会に届けなくてはならんのだ。ラーメンなんてみっともないから、取引を止めろ」と怒った。

このため、佐南正司は安藤百福(呉百福)に「三菱の社名を刷り込むのは止めてくれ」と頼むと、安藤百福(呉百福)は既に三菱商事の名前を印刷した袋を大量に作ったといい、「作った袋が無駄になる」と言った。

そこで、佐南正司は、既に作った袋については黙認し、新しく作る袋からは三菱商事の社名を入れないように頼んで帰った。

ところが、何ヶ月がたっても、チキンラーメンの袋から「発売元・三菱商事」が消えないので、佐南正司が不審に思って安藤百福(呉百福)の部下に聞いてみた。

すると、安藤百福(呉百福)は、佐南正司が既に作った袋については黙認したので、佐南正司が帰ると、「発売元・三菱商事」と印刷した袋を大量に発注していた事が分かったのだ。

その後については、詳しい資料が無いのだが、佐南正司が三菱商事の役員会を説得したとも、チキンラーメンは飛ぶように売れていたので、三菱商事がチキンラーメンを認めたとも言われ、最終的にチキンラーメンを発売した翌年の昭和34年(1959年)12月に「三菱商事」「伊藤忠商事」「東京食品(東食)」の3社が正式に日清食品の特約店となった。

このように、実話の安藤百福(呉百福)は、一流商社の三菱商事さえも手玉に取っており、商売人としての側面があったのである。

このため、世良商事や世良勝夫(桐谷健太)のモデルは、安藤百福(呉百福)の商売人の部分だと推定した。

なお、朝ドラ「まんぷく」に登場する人物や企業の実在のモデルは、「朝ドラ「まんぷく」のキヤストと実在のモデル一覧」をご覧ください。

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