清水栄蔵の立志伝

砂糖商から身を起こして大阪の清水財閥を築いた初代および2代目の清水栄蔵の立志伝です。

清水栄蔵の立志伝

初代・清水栄蔵は阿波国(徳島県)の出身で、幕末に大阪へ出て砂糖商を起こして、清水財閥の基礎を築いた。

その子が、2代目・清水栄蔵として家督を相続して砂糖商を営み、明治時代に中国貿易で財を成し、清水銀行を開業した他、肥料業や鉱山業によって莫大な財を成して清水財閥を築き上げ、財界立志伝を成し遂げた。

阪栄橋を作る

2代目・清水栄蔵は、大金を寄付して大阪・堀江の川に橋を作り、自分の名前「栄蔵」から阪栄橋と名付けた。

三井銀行に助けて貰う

明治・大正時代は、富豪層が個人で銀行を開業しており、清水財閥の清水銀行も個人銀行だった。

しかし、個人銀行は大財閥の銀行とは違い、財務が貧弱だったため、ときどき、取り付け騒ぎが起きた。

清水銀行の財務は健全だったが、取り付け騒ぎの余波を受け、倒産の危機を迎えた。しかし、三井銀行が保証をしてれたので、取り付け騒ぎを乗りきることが出来た。

浮き沈みの激しい清水家

2代目・清水栄蔵は大きな富を築いたが、銅山から銅が出なくなったこともあり、かなり浮き沈みの激しい家だった。

清水栄蔵の子供や子孫

2代目・清水栄蔵の長男・清水栄次郎は、家督を相続後、浮き沈みの激しい清水銀行や鉱山を売り払い、安全な木材商へと転業し、かなり手広く商売をしたほか、阪急電鉄の監査役など、数々の企業で要職を務め、実業界で名を挙げた。

清水栄次郎の長男は清水潔といい、家督を相続して木材商を継ぎ、清水栄次郎の次男・清水雅は小林一三の右腕として活躍し、阪急百貨店の初代・社長を務めた。

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