昭和天皇が田中千代に鳩の間違いを指摘

今回、紹介するのは、昭和天皇が昭和27年(1952年)に、皇后陛下のデザイナー田中千代に鳩の間違いを指摘した時のエピソードです。

田中千代が皇后の和服を作る

皇后(昭和天皇の皇后/香淳皇后)は戦時中の昭和19年(1944年)、物資不足に配慮して、簡易な宮中服を考案した。

そして、戦後も物資不足にあえぐ、国民生活に配慮して、戦時中に考案した簡易な宮中服を使い続けていた。

ところが、皇后が考案した簡易な宮中服はデザインが悪いうえ、戦前は皇后に触れる事が許されず、採寸が出来ないため、皇后の宮中服はダボダボで、非常に見た目が悪かった。

日本は昭和26年(1951年)9月8日にサンフランシスコ平和条約に調印して国際社会へ復帰していたが、こんな宮中服では外国の要人を迎えるのは不適切であり、見た目の悪い宮中服に国民から批判が殺到していた。

また、昭和天皇は人間宣言をしており、皇室は「新しい皇室」「開かれた皇室」を国民に印象づけなければならなかった。

このようななか、昭和27年(1952年)、個人的に宮中服の事を心配していた秩父宮妃・勢津子が、親しいデザイナー田中千代に、皇室の衣装を考えて欲しいと相談する。

そして、宮内省関係者の立ち会いの下で話し合い、田中千代は特別な肩書きなどは辞退し、相談役という自由な立場で皇后のデザイナーを引き受け、皇后(昭和天皇の皇后/香淳皇后)のデザイナーとなった。

そして、田中千代が皇后の和服を制作。皇后(香淳皇后)は、昭和27年(1952年)10月10日に行われた順宮(池田厚子)の婚儀に、肩と裾に「平和」を象徴する鳩を飛ばせた和服で出席し、世間に新しい皇室を印象づけることに成功した。

ところが、この皇后陛下(香淳皇后)が着た和服には、ちょっとした裏話がある。実は、昭和天皇が着物に描かれる鳩にダメだしをしていたのだ。

細かすぎる昭和天皇のダメだし

皇后様のデザイナーとなった田中千代の最初の仕事は、皇后(香淳皇后)が順宮(池田厚子)の婚儀で着る和服を作ることだった。

色は皇后(香淳皇后)を引き立てる金茶に決まり、肩と裾に、昭和天皇が好きな平和の象徴「鳩」を描くことになった。

やがて、デザインが決まり、田中千代が下絵を持ってデザインの確認に伺うと、昭和天皇は熱心に下絵をご覧になり、「これは鳩ではありません。足の向きがちがいます」と仰った。

さすが、昭和天皇は動物(生物学)を研究しているだけあって、下絵といえど、細かなところまでご覧になる。

昭和天皇に間違いを指摘された田中千代は、青くなって下がり、鳥の専門家を訪ねて鳩の絵を描き直した。

こうして、昭和天皇も納得する和服が出来上がり、皇后(香淳皇后)は鳩をあしらった和服で順宮(池田厚子)の婚儀に出席し、世間に新しい皇室を印象づけることに成功したのである。

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