たちばな塩業のモデルは中交総社

NHKの朝ドラ「まんぷく」に登場する「たちばな塩業」の実在のモデルは「中交総社」です。

まんぷくの「たちばな塩業」

戦後、立花萬平(長谷川博己)は香田家を出て、世良商事の世良勝夫(桐谷健太)に紹介して貰った泉大津の倉庫に移り住んだ。

立花萬平(長谷川博己)らは、近所で美味いと評判のラーメン屋「清香軒」でラーメンを食べると、確かに美味いことは美味いが、どこか物足りなかった。

ラーメン店「清香軒」の店主・三原竹春(阿南健治)に話を聞いてみると、配給の塩が手に入らないのだという。

そこで、立花萬平(長谷川博己)は塩なら赤穂だということで、赤穂へ行って塩の作り方を学び、倉庫にあった鉄板を使って塩を作った。

出来上がった塩をラーメン店「清香軒」の店主・三原竹春(阿南健治)にプレゼントすると、店主・三原竹春(阿南健治)は喜んで、塩を使ったラーメンを振る舞った。

すると、塩を使ったラーメンはとても美味かったので、立花萬平(長谷川博己)は専売局の認可を取得して、「たちばな塩業」を設立し、本格的に塩の生産を開始した。

世良勝夫(桐谷健太)が生産した塩を闇業者に横流しするが、立花萬平(長谷川博己)は大阪商工会の会頭・三田村亮蔵(橋爪功)に熱意が認められ、3万円という大金を出資して貰えることになり、パンに塗って食べるペースト状の栄養食品「ダネイホン」の生産も開始する。

そのようななか、立花萬平(長谷川博己)と「たちばな塩業」の従業員全員が、進駐軍(GHQ)への反乱容疑で、進駐軍に逮捕されてしまった。

実は、立花萬平(長谷川博己)が住んでいた倉庫は軍が使用していた倉庫で、倉庫には手榴弾が残っていた。

そして、「たちばな塩業」の従業員が倉庫で手榴弾を見つけ、手榴弾を海に投げて魚を捕っており、その爆破音を聞いた人が通報したので、立花萬平(長谷川博己)らに進駐軍への反乱容疑がかかったのだ。

しかし、大勢の人が無実を嘆願したうえ、立花萬平(長谷川博己)が病人のために利益にならない栄養食品「ダネイホン」を生産していたことから、世良勝夫(桐谷健太)の実験要請が聞き入れられて、手榴弾で魚を捕る実験が行われ、従業員の証言通り、魚が捕れた。

このため、立花萬平(長谷川博己)や「たちばな塩業」の従業員は容疑が晴れて釈放されたが、新聞で大々的に報じられていたため、専売局から塩の取引を停止されたうえ、逮捕されていた間に鉄板はさび付いており、精製事業の再開は困難だった。

立花萬平(長谷川博己)は製塩事業を諦めきれずに苦悩するが、妻の今井福子(安藤サクラ)から「塩は他にも製造しているが、ダネイホンを生産しているのはウチだけ」と説得され、立花萬平(長谷川博己)は製塩事業を諦めて栄養食品「ダネイホン」に専念することに決め、社名も「立花栄養食品研究室」へと変更したのだった。

たちばな塩業の実在のモデルは中交総社

朝ドラ「まんぷく」に登場する「たちばな塩業」の実在のモデルは「中交総社(後の日清食品)」です。

戦後、日本人は「新円切り換え」「預金封鎖」「財産税」のせいで、1ヶ月500円生活を余儀なくされていた。

しかし、安藤百福(呉百福)は、在日台湾人だったので、中国籍を得て戦勝国民となり、空襲で焼けた工場などの保険金4000万円(1000億円相当)を得て、日本一の大金持ちと呼ばれるようになった。

さらに、安藤百福(呉百福)は、久原房之助の助言で、二束三文で手放されていた大阪市内の一等地を購入て、戦後の3年間で巨万の富を気付き、関西を代表する大富豪となった。

その安藤百福(呉百福)が佐藤栄作や田中龍夫と話をしているとき、仕事もせずにブラブラしている若者を何とかしなければならないという話になった。

そこで、大阪府泉大津市に居を構えていた安藤百福(呉百福)は、近所に戦火を免れた造兵廠があったので、造兵廠を無料で借り受け、若者を集めて製塩事業を開始した。

有り余る金を持っていた安藤百福(呉百福)は、利益のことなど考えず、若者に仕事を与えるための慈善事業として製塩業を始めたのだという。

安藤百福(呉百福)は、塩作りを学んだことは無いが、兵庫県の上郡に疎開していたときに、赤穂の塩作りを見ており、塩作りを思いついたようだ。

さて、安藤百福(呉百福)は、倉庫にあった鉄板を並べ、日光で熱くなった鉄板に海水を流して濃縮液を作り、最後に濃縮液を大釜で煮詰め、塩を作った。

(注釈:塩は専売だったが、戦時中の昭和17年に、物資不足から、自家製塩が認められており、合法だった。)

安藤百福(呉百福)が作った製法の関係で塩は錆びで赤い色をしていたが、泉大津市民に無料で配ると、当時の塩は貴重だったので、大変よろこばれたという。余った塩は振りかけにして販売した。

また、泉大津市の西側には大阪湾だったので、漁船を二艘買い入れて大阪湾で魚を捕った。毎日、大量だったので、撮れた魚はムシロに広げて干物にした。

さて、安藤百福(呉百福)の元に集まった若者は最終的に100人を超えており、本格的に事業を開始するため、昭和23年(1948年)9月に大阪府泉大津市で「中交総社」を設立した。資本金は500円で、当時の最高額だった。

この「中交総社」が、朝ドラ「まんぷく」に登場する「たちばな塩業」のモデルである、ただ、「中交総社」は製塩業や魚介類加工を手がけていたが、主業務は貿易だったと考えられる。

ところで、在日台湾人は中国籍を得て戦勝国民になったため、敗戦国の日本に税金を払っていなかったが、戦後の日本は極度の税収不足だったことから、アメリカが方針を転換して、中国人(在日台湾人)への税収を強化した。

そこでやり玉に挙がったのが、関西でも有数の大金持ち安藤百福(呉百福)だったので、安藤百福(呉百福)は昭和23年(1948年)12月に巨額の脱税で逮捕されて軍事裁判に掛けられ、労働4年の実刑判決を受け、巣鴨プリズンに収監されたのである。

表には出てこないが、安藤百福(呉百福)は密輸やブローカーなどもしていたようで、そうした所得を申告していなかった。製塩業に平行して行われていた、栄養食品「ビセイクル」の所得も申告していなかったようだ。

この脱税で安藤百福(呉百福)は、所有していた自宅や土地などが差し押さえられたため、製塩事業などは整理した。

さて、獄中の安藤百福(呉百福)は黒田覺に依頼して泉大津税務署を提訴すると、財務当局は提訴を取り下げれば、即刻釈放すると持ちかけてきた。

安藤百福(呉百福)は、面会に来た妻・安藤仁子に泣きつかれても、提訴を取り下げず、裁判を続けていたが、2年が経過した頃に、面会に来た妻・安藤仁子が子供を連れて帰る背中を見て、引き時かと思い、提訴を取り下げて釈放された。

安藤百福(呉百福)は、提訴を取り下げたので、差し押さえられた資産を失ったしまったうえ、巣鴨プリズンに収監されている間に事業を整理したので、事業家として振り出しに戻ってしまうが、人から頼まれて、華僑向けの信用組合「大阪華銀」の理事長に就任することになる。

なお、昭和23年(1948年)9月に設立した「中交総社」は、安藤百福(呉百福)が巣鴨プリズンに収監中の昭和24年(1949年)9月に「サンシー殖産」へと社名を変更し、大阪市曽根崎新地へと移転したが、主不在で休眠会社となった。

安藤百福(呉百福)が昭和33年(1958年)8月25日にチキンラーメンの販売したときの会社が、この「サンシー殖産」で、「サンシー殖産」はチキンラーンの発売から4ヶ月後の昭和33年12月20日に社名を「日清食品」へと変更した。

なお、日清食品の社名の由来は「日清食品の社名の由来と日清製粉の関係」をご覧ください。

また、朝ドラ「まんぷく」に登場する人物や企業の実在のモデルのネタバレは、「朝ドラ「まんぷく」のキヤストと実在のモデル一覧」をご覧ください。

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