まんぷく-立花源のモデルは安藤宏基

NHKの朝ドラ「まんぷく」に登場する立花源(たちばな・げん)の実在のモデルを紹介します。

■まんぷくの立花源

NHKの朝ドラ「まんぷく」に登場する立花源は、今井福子(安藤サクラ)立花萬平(長谷川博己)の間に生まれた第1子(長男)である。

立花萬平(長谷川博己)は、日本を代表する発明家・平賀源内から「立花源内」と名付けようとしたが、義母・今井鈴(松坂慶子)が「ご先祖様は源義経」だと言い、「立花義経」にすると言って対立した。

そこで、立花福子(安藤サクラ)が「平賀源内」の「源」と「源義経」の「源」を取り、「立花源」と名付けることを提案すると、立花萬平(長谷川博己)も今井鈴(松坂慶子)も賛成し、「立花源」と名付けられた。

立花源は子供なので、「まんぷく」の前半では特にエピソードは無く、立花萬平(長谷川博己)がチキンラーメンを開発するあたりからエピソードが出てくると思います。

立花源のモデルは安藤宏基

NHKの朝ドラ「まんぷく」に登場する立花源の実在のモデルは、家系図から考えると、安藤百福(呉百福)の次男・安藤宏基です。

安藤百福には安藤宏寿という長男が居るのですが、長男・安藤宏寿は異母兄弟なので、朝ドラ「まんぷく」に登場するとは考えにくいです。

だから、立花源のモデルは、安藤百福と安藤仁子の間に生まれた次男・安藤宏基と考えられます。

さて、モデルの安藤宏基は、昭和22年(1947年)10月7日に安藤百福(呉百福)の次男として大阪府で生まれた。母親は安藤仁子である。

安藤百福(呉百福)は信用組合「大阪華銀」の理事長を務めていたが、大阪華銀を倒産させてしまい、全財産を失ってしまう。

しかし、安藤百福(呉百福)の事業意欲は衰えておらず、即席麺「チキンラーメン」の開発を開始する。小学生だった安藤宏基もチキンラーメン作りを手伝っている。

安藤宏基は、大阪学芸大学付属池田小学校(平成13年に無差別殺傷事件が起きた小学校)、同附属中学校、同附属高校を経て、慶應義塾大学へ進学した。

安藤宏基は、慶應義塾大学に在学中に「出前一丁」という名前を考えて成功させ、卒業後はアメリカのコロンビア大学でマーケティングを学んでいた。

しかし、マーケティングなど信用しない父・安藤百福(呉百福)からアメリカでの販路開拓を命じられ、コロンビア大学を1年で中退して、現地法人「ニッシン・フーズ(米国日清)」の取締役に就任した。

安藤宏基は翌年の昭和48年(1973年)7月に日清食品に正式に入社し、昭和49年(1974年)に取締役に就任した。

昭和51年(1976年)に日清食品のマーケティング部の初代部長に就任し、「日清焼そばUFO」「日清のどん兵衛」をヒットさせ、昭和54年(1979年)に常務取締役営業本部長に就任した。

昭和56年(1981年)6月に父・安藤百福(呉百福)が長男の安藤宏寿に社長を譲って会長に退くと、安藤宏基は代表取締役専務に就任した。

しかし、父・安藤百福(呉百福)はわずか2年で長男の安藤宏寿を解任して社長に復帰し、安藤宏基は副社長に就任した。

それから2年後の昭和60年(1985年)、父・安藤百福(呉百福)は安藤宏基に社長を譲った。

安藤宏基は社長に就任早々、「打倒カップヌードル」というスローガンを掲げ、創業者の父・安藤百福(呉百福)を激怒させる。

父・安藤百福(呉百福)はマーケティングなど信じないので、安藤宏基とは経営方針が会わず、度々、仕事のことで喧嘩した。

しかし、安藤宏基は社内改革を成功させ、生タイプ麺の「日清ラ王」や一口サイズの「マグヌードル」を生み出して大ヒットさせた。

そうした一方で、カップラーメンの容器の環境ホルモン問題や、森永製菓や東洋水産との対立など、数々の問題を抱えた。

その後、平成20年(2008年)に日清食品ホールティンズスが設立されたことに伴い、日清食品の社長を中川晋に譲り、日清食品ホールティンズスの代表取締役社長・CEOに就任した。

さらに、安藤宏基の詳しいエピソードを知りたい方は「日清食品の社長・安藤宏基の立志伝」をご覧ください。

なお、朝ドラ「まんぷく」に登場する人物や企業の実在のモデルのネタバレは、「朝ドラ「まんぷく」のキヤストと実在のモデル一覧」をご覧ください。

スポンサードリンク

ブログ内検索

スポンサードリンク