東明商行の張国文と「長寿麺」の立志伝

第1次南極観測隊にインスタントラーメン(即席麺)を提供した東明商行の張国文(華僑・在日台湾人)の立志伝です。

東明商行の張国文の立志伝

張国文東明商行の張国文(張國文/ちょう・こくぶん)は日本統治下の台湾で、日本国籍を持つ台湾人として生まれた。戦前に歯科技工士として日本に来て、戦後、大阪アベノで中華料理店を経営し、1杯50円で中華そば提供していた。

蕎麦の汁を作るのは比較的簡単で、家庭でも作れたが、中華そば(支那そば)のスープは手が込んでおり、家庭で作るのは難しい。

そこで、張国文(東明商行)は、家庭でも中華そばを食べられるように、インスタントラーメン「長寿麺」を開発したという。

張国文(東明商行)は、登山を趣味にしていたので、インスタントラーメンが登山の携帯食(保存食)にもなるように、湯をかけなくても食べられるように工夫し、ビタミンB1やカルシウムも添加した。

そして、中国では年寄りの誕生日に長寿を祝って「長寿麺」を送る風習があることから、中国の「長寿麺」から取って、インスタントラーメンを「長寿麺」と名付け、昭和33年(1958年)の春ごろに発売した。

このころ、東京でも在日台湾人の陳栄泰(大和通商)が即席麺「鶏糸麺(ケーシーメン)」を発売していた。

さらに、少し遅れて日清食品の安藤百福(呉百福)が大阪で即席麺「チキンラーメン」を発売した。昭和33年(1958年)8月25日のことである。

泥沼の特許紛争

昭和34年(1959年)に日清食品のチキンラーメンが大ヒットすると、続々とインスタントラーメンに参入する業者が現れた。

そのようななか、特許「素麺を馬蹄形状の鶏糸麺に加工する方法」を申請していた東京の陳栄泰(大和通商)が、特許を主張し、各製造業者にロイヤリティーの支払いを求めた。

すると、特許「味付乾麺の製法」を出願していた張国文(東明商行)は、島田屋本店・エース食品(エースコック)・スターマカロニなど大手10社と1食2円のロイヤリティーで特許使用契約を結んで、陳栄泰(大和通商)に対抗した。

一方、安藤百福(日清食品)も「即席ラーメン製造法」を申請しており、独自に特許を主張するため、単独で陳栄泰(大和通商)に対抗した。

こうして、陳栄泰(大和通商)・張国文(東明商行)・安藤百福(日清食品)という3人の在日台湾人がそれぞれにインスタントラーメンの特許を主張し、インスタントラーメン業界は長きにわたる泥沼の特許紛争へと突入するのだった。

そのようななか、張国文(東明商行)は、安藤百福(日清食品)から「即席ラーメンは華僑(在日台湾人)が日本で建てた金字塔(ピラミッド)だ。粗悪品が出回るのを整理するため、特許を一本化する必要がある」と説得を受けたという。

インスタントラーメンを工業生産するうえで、最も重要な特許は張国文(東明商行)の特許だったが、張国文(東明商行)は安藤百福(日清食品)のように大規模な投資をして工場を拡張する冒険心が無かったと言われる。

結局、張国文(東明商行)は昭和36年(1961年)8月16日に、2300万円(平成17年の価値で約3億円)で公示中の特許「味付乾麺の製法」を安藤百福(日清食品)に売却し、インスタントラーメンの元祖争いから退き、インスタントラーメン業界から去るのだった。

日清食費側の資料によると、特許の譲渡日は昭和36年8月16日だが、別の資料には「(昭和36年)1月13日、日清食品は分譲金2300万円を1年半の分割払いとし、張東明商行社長に支払う条件で特許出願権を手に入れた」と書かれている。

元祖インスタントラーメンの理由

張国文(東明商行)のインスタントラーメン「長寿麺」が「元祖インスタントラーメン」と呼ばれるのには、理由がある。

実は、昭和31年(1956年)出国の第1次南極観測隊がインスタントラーメンを南極へ持って行っているのだが、そのインスタントラーメンが張国文(東明商行)の「長寿麺」だったのである。

つまり、張国文(東明商行)は、陳栄泰(大和通商)や安藤百福(日清食品)がインスタントラーメンを発売する2年前に、「長寿麺」を完成させていたのである。

しかし、張国文(東明商行)は「長寿麺」を一般に販売しなかったのか、何故か「長寿麺」の販売は、第1次南極観測隊の出発から2年後の昭和33年の春ごろとなっている。この理由は分からない。

長寿麺の開発の経緯

台湾に麺を油で揚げた「鶏糸麺(ケーシーメン)」という料理があり、在日台湾人が台湾から「鶏糸麺」を取り寄せて食べていた。

戦後、小麦の統制が解除されて小麦が自由に手に入るようになると、在日台湾人が「鶏糸麺」を日本で作って食べるようになった。日本のインスタントラーメンは、この「鶏糸麺」を改良して商品化したものだとされる。

張国文(東明商行)が、どのような経緯で「鶏糸麺」を開発したのかは資料が無いので分からないのだが、張国文(東明商行)も台湾料理の「鶏糸麺」を参考にしてインスタントラーメンを開発したと考えられる。

ただ、張国文(東明商行)の「鶏糸麺」には別説がある。

第1次南極観測隊の中に、南極に残って1年を過ごす「南極越冬隊」という登山家を集めたチームがあり、南極越冬隊に西丸震哉という隊員が居た。

インスタントラーメンらしき物は戦前から存在しており、南極越冬隊の西丸震哉が、南極で食べる保存食としてインスタントラーメンを開発していた。

このインスタントラーメンは完成していたという話もあるのだが、西丸震哉は南極越冬隊の隊長・西堀栄三郎と馬が合わなかったため、南極越冬隊を辞めてしまった。

そこで、南極越冬隊が企業にインスタントラーメンの開発を委託して、その企業が南極越冬隊の助言を受けてインスタントラーメンを完成させたという話しが残っている。

つまり、張国文(東明商行)の「鶏糸麺」は、南極越冬隊の委託を受けてインスタントラーメンを開発したというのだ。ただこの説は、噂で聞いただけなので、どこまで本当かは分からない。

張国文の主張

張国文(東明商行)も泥沼の特許紛争の時は、インスタントラーメンの元祖を主張しており、安藤百福(日清食品)との関係なども暴露していた。

張国文(東明商行)側の主張によると、安藤百福(呉百福)は戦後、戦勝国民としての特権を利用して、PX(米軍向け販売店)で仕入れた物を売りさばいていた。

張国文(東明商行)は中華料理店を経営しており、安藤百福(呉百福)から小麦などを仕入れる関係だったという。

そして、在日台湾人の鄭江明によると、チキンラーメンの発売前に日清食品の幹部を「長寿麺」の工場へ案内したと言い、安藤百福(呉百福)は張国文の「長寿麺」をヒントにして、チキンラーメンを開発したという。

張国文(東明商行)は、インスタントラーメンの元祖を名乗り、このような主張を展開していたのだが、結局、安藤百福(日清食品)に特許「味付乾麺の製法」を売却したので、真相は分からずに終わった。

丸かった長寿麺

現在の「チキンラーメン」は丸形だが、発売当初は麺が四角く、真ん中に割れ目が入っており、2つに割って丼の中に入れ、湯を入れて食べていたようだ。

これに対し、張国文(東明商行)の「鶏糸麺」は発売当初は丸形だったのだが、後から発売した他のメーカーが四角ばかりだったので、途中から四角にしたのだという。

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