わろてんか-月の井団吾(桂春団治)の赤い人力車(赤車)の実話

NHKの朝ドラ「わろてんか」に登場する落語家・月の井団吾(波岡一喜)の赤い人力車(赤車)の実話の紹介です。

わろてんか-月の井団吾(波岡一喜)の赤い人力車

NHKの朝ドラ「わろてんか」に登場する落語家・月の井団吾(波岡一喜)は、赤い人力車に乗って寄席を異動しており、借金取りや落語好きの間では、「赤い人力車がある所に月の井団吾(波岡一喜)が居る」と知れ渡っていた。

このため、寄席の前に赤い人力車があると、通りかかった人が「月の井団吾(波岡一喜)が出るので見ていこう」と言って寄席に入るので、赤い人力車が止まっている寄席は何時も満員大入りになっていた。

では、なぜ、月の井団吾(波岡一喜)が赤い人力車に乗っているかというと、人力車を購入した人の支払いが滞ったので、落語家・月の井団吾(波岡一喜)が「これがホンマの火の車や」と言って人力車を赤く塗ってしまったのである。

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月の井団吾(波岡一喜)の赤い人力車の実話

朝ドラ「わろてんか」に登場する月の井団吾(波岡一喜)のモデルは落語家の初代・桂春団治(皮田藤吉)です。

この初代・桂春団治には、赤い人力車に乗って寄席をハシゴしてしており、それを見た人は「火の車や」と言ったという逸話が残っています。

しかし、初代・桂春団治に近い人たちが、「赤い人力車」を見たこと無いと証言しており、初代・桂春団治を象徴する赤い人力車のエピソードは、史実では無いというのが真相のようです。

では、なぜ、初代・桂春団治が「赤い人力車」に乗っていたというエピソードが生まれたのか。

実は、「赤い人力車」の元ネタは、「赤車の文三」の異名を取っていた落語家の三代目・桂文三です。

三代目・桂文三は本名を高田留吉と言って、元々は人力車夫だったのですが、落語界へと飛び込んで、2代目・桂文枝の弟子にり、2代・桂扇枝を名乗って人気者になって、三代目・桂文三を襲名しました。

その後、桂派が三友派に押されるようになると、三代目・桂文三は、明治42年頃に桂派を飛び出して、三友派へ鞍替えします。

三代目・桂文三は、人力車夫だったので人力車を家用車として持っており、明治42年頃、人力車を真っ赤に塗って乗り回していたことから、「赤車の文三」の異名を取っていたのです。

後年、吉本興業で芸人のプロデューサー的な役割をしていた花月亭九里丸が、小説家の長谷川幸延に「三代目・桂文三の赤い人力車」の話をしたところ、長谷川幸延が面白いと言って、小説に書きました。

この小説が舞台や映画になり、「赤い人力車」のエピソードが初代・桂春団治のエピソードとして定着したというのが真相のようです。

なお、史実の初代・桂春団治(皮田藤吉)が乗っていた人力車は、黒塗りに金色の家紋が入っていたそうです。

朝ドラ「わろてんか」のあらすじや実話は、「わろてんか-あらすじと実話」をご覧ください。

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