わろてんか-伝統派の実在のモデル

NHKの朝ドラ「わろてんか」に登場する「伝統派」の実在のモデルの紹介レです。

わろてんか-伝統派のあらすじ

NHKの朝ドラ「わろてんか」に登場する「伝統派」は、芸の伝統を重んじる派閥で、大看板の落語家・喜楽亭文鳥(笹野高史)を筆頭として、大阪で勢力を誇り、寺ギン(兵藤大輝)の「オチャラケ派」と勢力争いをしていた。

「伝統派」の落語家は格式を重んじるので、北村藤吉(松坂桃李)が始めた三流の寄席「風鳥亭」には出演しなかったが、筆頭の喜楽亭文鳥(笹野高史)は「落語の普及」ということで、1度だけ、三流の寄席「風鳥亭」に出演する。

これが切っ掛けで、三流の寄席「風鳥亭」は話題となり、北村藤吉(松坂桃李)は「オチャラケ派」と業務提携する事が出来た。

その後、「オチャラケ派」の芸人は、芸人をゴミのように扱う太夫元・寺ギン(兵動大樹)に嫌気を刺し、寄席「風鳥亭」に移籍したため、「オチャラケ派」は消滅する。

「伝統派」は「オチャラケ派」と提携する話を進めていたが、喜楽亭文鳥(笹野高史)は藤岡てん(葵わかな)の器量に感心し、寄席「風鳥亭」と提携して、北村藤吉(松坂桃李)は大阪の演芸界で最大の勢力に発展したのであった。

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わろてんか-伝統派の実在のモデル

朝ドラ「わろてんか」に登場する「伝統派」の実在のモデルは、落語の「桂派」と「三友派」です。

「桂派」は、桂文枝を筆頭とする落語の一派で、明治時代の初期には大阪の落語界を牛耳っていました。

そして、明治時代の中期に落語の「三友派」が誕生すると、「桂派」と「三友派」は、芸を争って落語の黄金期を築いていました。

しかし、「桂派」は本格派の落語を守ったため、日露戦争後の社会情勢の変化や活動写真などの登場によって衰退の一途をたどり、大正元年(明治45年)に消滅して「三友派」に吸収されていきました。

この間に、岡田政太郎郎が「浪速落語反対派」を発足しており、「浪速落語反対派」は吉本泰三(吉本吉兵衛)の吉本興行部(吉本興業)と提携し、落語衰退の隙を突いて勢力を伸ばしていきます。

そして、「浪速落語反対派」の太夫元・岡田政太郎が死ぬと、吉本興行部(吉本興業)は「浪速落語反対派」を乗っ取って一大勢力へと発展したのです。

「三友派」は、吉本興行部(吉本興業)に抵抗を続けていましたが、大阪の顔役・酒井猪太郎の仲裁を受けたため、条件付きで吉本興業に下り、吉本興業は大正11年に大阪の演芸界を統一して吉本王国を築いたのです。

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