わろてんか-阿久津少佐のモデルは飯塚国五郎大佐

朝ドラ「わろてんか」に登場する阿久津少佐の実在のモデルと実話です。

わろてんか-上海の阿久津少佐

朝ドラ「わろてんか」に登場する阿久津少佐(八十田勇一)は、上海に駐屯する陸軍の主計少佐で、北村笑店の皇軍慰問団「わろてんか隊」の担当となった。

阿久津少佐(八十田勇一)は、堅苦しい性格で、芸人の衣装が派手なことに難色を示し、芸人にわろてんか隊の制服のままで舞台にあがることを要求した。

さらに、阿久津少佐(八十田勇一)は、上海で「わろてんか隊」に加わったミスワカナの髪飾りを注意し、里心が付くような恋愛の漫才を禁止した。

しかし、ミスリリコ(広瀬アリス)は阿久津少佐に反発して、頭に大きな花飾りを付けて舞台に立ったうえ、禁止されていた「恋文」をネタにした漫才を披露したため、阿久津少佐は激怒して舞台を中止させた。

上海での最終日、わろてんか隊を率いる武井風太(濱田岳)は、阿久津少佐(八十田勇一)に「戦場へ行く兵士に本当の漫才を見せてやりたい。笑いは薬」と直談判し、粘りに粘った末、なんとか本来の漫才をやる許可を得た。

そこで、「ミスリリコ・アンドシロー」は、着物で舞台に立ち、笑いあり涙ありの漫才を披露して、兵士を夫顔にして最終日を大成功させ、阿久津少佐からも感謝されたのだった。

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阿久津少佐のモデルは飯塚国五郎大佐

朝ドラ「わろてんか」に登場する阿久津少佐(八十田勇一)のモデルは、歩兵第101連隊の隊長・飯塚国五郎(いいづか・くにごろう)です。

歩兵第101連隊は、第二次上海事変の時に上海へ派兵され、激戦の末、侵攻してきた中国軍を撃退し、そのまま上海の警備に付いていた。

部隊長の飯塚国五郎大佐は、酒を好み、白シャツは目立って敵に狙撃されるという理由で半裸で生活するような人だった。酒を持って戦場に現れ、兵士に一口ずつ飲ませてねぎらったこともあるという。

さて、第1回わらわし隊が上海の歩兵第101連隊を慰問したのは、中国大陸での慰問を終えて日本に帰るために上海に立ち寄った昭和13年(1938年)2月10日のことである。

わらわし隊を待ちきれない歩兵第101連隊は、芸自慢の兵士が舞台に上がり、わらわし隊の前座として演芸大会を開いており、わらわし隊の演目は石田一松の時事小唄、「ミスワカナ・玉松一郎」の漫才、「神田ろ山」の漫談で、非常に寒い日だったが、兵士たちは笑顔で楽しんだようである。

さて、朝ドラ「わろてんか」では、阿久津少佐とミスリリコ(広瀬アリス)が対立するが、実話では、非常に寒かったようで、ミスワカナがストーブに当たっていると、飯塚国五郎大佐はミスワカナに労いの言葉をかけ、チョッキをプレゼントしている。

ミスワカナは喜んで、飯塚国五郎大佐に名前を書いてもらい、そのお礼にお酌をしたという。

その後、飯塚国五郎大佐が率いる歩兵第101連隊は、武漢攻略戦に加わるのだが、昭和13年9月3日の盧山戦で、胸に銃弾2発を受けて戦死した。

飯塚国五郎大佐の戦死は直ぐに国内にも伝わった。

ミスワカナは、「わらわし隊」の帰国報告会(ラジオ)の出演直前に飯塚国五郎大佐が死んだという知らせを受け、その日のラジオで、飯塚国五郎大佐との思い出を漫才にした「部隊長とワカナ」というネタを披露し、大勢の涙を誘った。

飯塚国五郎大佐の死は、雑誌や新聞で追悼記事になって大きな反響を呼び、歌「あ蕊飯塚部隊長」や映画「われらが教官」が制作されたほどで、ミスワカナの泣かせる漫才も大きな反響を呼んでおり、ミスワカナは泣かせる漫才で一流スターの仲間入りを果たした。ただ、ミスワカナによると、泣かせるのは、笑わせるよりも簡単だったという。

なお、朝ドラ「わろてんか」の格登場人物のモデルについては「わろてんか-登場人物の実在モデル」をご覧ください。

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