べっぴんさん-坂東節子(山村紅葉)の実在のモデル

NHKの朝ドラ「べっぴんさん」に登場する坂東節子(山村紅葉)の実在のモデルと実話についてネタバレします。

べっぴんさんの坂東節子(山村紅葉)

朝ドラ「べっぴんさん」に登場する坂東節子(山村紅葉)は、近江にある坂東本家の嫁である。

昭和20年、日本本土への爆撃が本格化するなか、坂東五十八(生瀬勝久)の坂東営業部は統制会社に旧主合併されて消滅した。

これを機に、坂東五十八(生瀬勝久)は近江(滋賀県)の実家・坂東家に疎開することを決めた。

そこで、坂東すみれ(芳根京子)も幼い長女・坂東さくらを連れ、姉・坂東ゆり(蓮佛美沙子)とともに、近江の坂東本家へと疎開した。

神戸は食糧事情が悪く、板東すみれ(芳根京子)は乳の出が悪くて困っていたのだが、近江の坂東本家は畑を持っていたので、食卓に野菜などが並び、板東すみれ(芳根京子)は「ここな乳も出るだろう」と安心した。

しかし、近江の坂東本家は、坂東五十八(生瀬勝久)を快く思っておらず、幼い長女・坂東さくらが夜泣きすると、板東すみれ(芳根京子)は、坂東本家の坂東節子(山村紅葉)や坂東静子(三倉茉奈)から嫌みを言われてイジメられてしまう。

そんなときに、唯一、助けてくれたのが、祖母・坂東トク子(中村玉緒)だった。

こうして、板東すみれ(芳根京子)は、近江の坂東本家で終戦を迎えた。

ある日、坂東家の長男・坂東長太郎(本田博太郎)が無事に復員したので、坂東節子(山村紅葉)はお祝いに白い飯をたいて無事を祝った。

しかし、居候の板東すみれ(芳根京子)は白い飯をもらえず、粗末な食事しかさせてもらえなかった。

ある日、板東すみれ(芳根京子)は、坂東本家で肩身の狭い日々を過ごしていたが、赤ん坊を抱えて困っていた婦人を見過ごすことができず、坂東本家の野菜を分けてあげた。

しかし、これが坂東節子(山村紅葉)に見つかり、板東すみれ(芳根京子)は「おどれは勝手に何をさらしとんじゃ。人の家のもんを盗んで人助けか」と罵倒されてしまう。

坂東本家を出ても行くあては無かったが、気の強い坂東ゆり(蓮佛美沙子)が近江の坂東本家を出る事を決め、坂東本家を出た。

そのとき、復員した夫・野上潔(高良健吾)が坂東ゆり(蓮佛美沙子)を迎えに来たので、2人は大阪へ向かう。

板東すみれ(芳根京子)も、これを機に坂東本家を神戸の自宅に戻り、進駐軍に接収された自宅の横にバラック小屋を建て、消息不明の夫・田中紀夫(永山絢斗)の帰りを待ったのであった。

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坂東節子(山村紅葉)の実在のモデル

坂東節子(山村紅葉)のエピソードに相当する実在のモデルは、存在しまっせん。

板東すみれ(芳根京子)のモデルとなる坂野惇子(佐々木惇子)は、近江(滋賀県)ではなく、岡山県勝山町(岡山県真庭市)に疎開しています。

姉の佐々木智恵子が東京の子爵・三浦義次に嫁いでいます。この三浦義次は勝山藩の藩主の家系で三浦家の12代当主でした。

姉・佐々木智恵子は一足先に東京で被災して、夫の実家である岡山県勝山町(岡山県真庭市)にしており、神戸大空襲で焼け出された坂野惇子は、姉・佐々木智恵子を頼って岡山県勝山町に疎開し、岡山県勝山町で終戦を迎えました。

疎開先の三浦義次は藩主の家系ですが、戦後の混乱期なので、食糧事情はさほど変わらず、坂野惇子は慣れない農作業をしながら、ひもじい思いをしました。

そして、坂野惇子は1年ほど、三浦家に居候していましたが、夫の坂野通夫が昭和21年(1946年)4月に復員したので、同年5月に疎開先の三浦家を引き払い、神戸へと戻りました。

なお、朝ドラ「べっぴんさん」の登場人物の実在のモデル一覧は「べっぴんさん-登場人物・キャスト・モデルまとめ」をご覧ください。

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