NHKの朝ドラ「べっぴんさん」の主人公となる坂野惇子(ばんの・あつこ)の生涯を年表です。
年月日 | 年齢 | 出来事 |
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大正7年(1918年)4月11日 | 1歳 | 坂野惇子(佐々木惇子)は、繊維卸売業「佐々木営業部(レナウン)」の創業者・佐々木八十八の3女(末娘)として、兵庫県神戸市で生まれる。 |
魚崎小学校を卒業 | ||
昭和6年(1931年) | 14歳 | 坂野惇子(佐々木惇子)が甲南高等女学校(現在の甲南女子大学)に入学。田村枝津子(田村江つ子)とクラスメイトになる。 |
上京して東京女学館高等科の聴講生となる。 | ||
昭和14年 | 22歳 | 坂野通夫と婚約。 |
昭和15年(1940年)5月 | 23歳 | 坂野惇子(佐々木惇子)が坂野通夫と結婚する。 |
昭和16年(1941年)12月8日 | 24歳 | 日本が真珠湾攻撃を行う。 |
昭和17年(1942年) | 25歳 | 坂野惇子(佐々木惇子)が長女・坂野光子(てるこ)を出産する。 |
25歳 | 坂野惇子(佐々木惇子)は外国人専門のベビーナース大ヶ瀬久子から3ヶ月間にわたり、外国式の育児法を学ぶ。大ヶ瀬久子から学んだ育児法が、ベビーショップ・ファミリアの基礎となる。 | |
昭和20年(1945年)、 | 28歳 | 神戸大空襲を受け、姉を頼って岡山県に疎開する。 |
昭和20年(1945年)8月15日 | 28歳 | 昭和天皇が玉音放送を行い、日本が終戦を迎える。 |
昭和21年(1946年)5月 | 29歳 | 出兵していた夫・坂野通夫が帰国し、坂野惇子と夫・坂野通夫は、兵庫県尼崎市の塚口へと移り住む。 |
昭和21年(1946年)秋 | 29歳 | 父・佐々木八十八が軽井沢の別荘を手放すことになり、坂野惇子(佐々木惇子)は別荘に貯めていた外国製の毛糸などを引き取る。 |
昭和22年(1947年)の春 | 30歳 | 坂野惇子(佐々木惇子)は、村井ミヨ子の頼みもあり週1回、自宅で手芸のお稽古教室を開催するようになる。 |
昭和23年(1948年)春 | 31歳 | 坂野惇子(佐々木惇子)は神戸三宮センター街にあるモトヤ靴店の店主・元田蓮から、手芸店の開店を勧められる。 |
昭和23年(1948年)12月 | 31歳 | 坂野惇子(佐々木惇子)・田村枝津子(田村江つ子)・田村光子・村井ミヨ子の4人が靴店「モトヤ靴店」の一角で、「ベビーショップ・モトヤ」をオープンする。 |
昭和24年(1949年)12月 | 32歳 | 靴店「モトヤ靴店」の西隣の万年筆店が移転したため、ベビーショップ・モトヤは万年筆店の後に入り、モトヤ靴店から独立する。 |
万年筆店の西隣のレナウン・サービス・ステーションが撤退することになり、坂野惇子(佐々木惇子)らは夫らの強い勧めにより、レナウン・サービス・ステーションへ移転を決める。 | ||
昭和25年(1950年)4月12日 | 33歳 | 坂野惇子(佐々木惇子)は移転に伴い、株式会社ファミリアを設立し、坂野惇子が社長に就任。レナウン・サービス・ステーションの跡地で「ベビーショップ・ファミリア」をオープンする。 |
昭和26年(1951年)4月 | 34歳 | 阪急百貨店に阪急ファミリアグループをオープンする。 |
昭和26年(1951年) | 34歳 | 坂野惇子(佐々木惇子)が田村泰に小熊をモチーフとしたデザインを依頼し、「ファミちゃん」「リアちゃん」が誕生する。 |
昭和31年(1956年)5月 | 夫・坂野通夫がファミリアの社長に就任。ファミリアが東京に進出して数寄屋橋阪急に直営店をオープンさせる。 | |
昭和45年(1970年)4月 | ファミリアがスヌーピーの販売を開始する。 | |
平成4年(1992年) | 夫・坂野通夫が死去 | |
平成17年(2005年)9月24日 | 88歳 | 坂野惇子(佐々木惇子)は平成17年(2005年)9月24日午前4時10分、心不全のために死去する。 |
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