坂野通夫が妻・坂野惇子の朝帰りに激怒の鉄拳制裁

皇室御調達の子供服ブランド「ファミリア」の創業者・坂野惇子の生涯を実話で描く「坂野惇子の立志伝」のネタバレ番外編です。

坂野通夫が妻・坂野惇子の朝帰りに激怒の鉄拳制裁

今回紹介するエピソード(実話)で、坂野惇子(佐々木惇子)が子供服ブランド「ファミリア」を創業した頃の話である。

ただ、正確な時期が分からず、ファミリアの前身「ベビーショップ・モトヤ」時代の話かもしれないので番外編として紹介する。

さて、坂野惇子らは創業当時から手間暇を掛けて良質な子供服を作っていたため、商品はショーケースに並べるそばから売れていくので、製造は追いつかず、ベビーショップ・モトヤ時代から商品不足に悩まされていた。

製造部門の責任者・田村光子は自宅で毎日、夜の1時、2時まで作業を続けていたが、それでも納期に間に合わず、異動の電車の中で作業する程だった。

一方、販売責任者の坂野惇子も、客の前でボタン付けなどの仕上げをした。販売担当の村井ミヨ子(中井ミヨ子)も接客の傍らで、編み物をした。

ダブルベッドカバーに刺繍をして欲しいと頼まれたときも、手芸担当の不破孝子は、洋服用の手芸がいっぱいで、オーダーは受けられない状態だったので、坂野惇子は午後出勤だけにして、午前中は自宅で刺繍の仕事をするということもあった。

さらに、坂野惇子は、弁当箱に絵の具で絵を描き、弁当袋や箸袋をセットにお弁当箱セットなどを思いついたりしたので、寝る暇も無いほどに忙しく、みんな最初に決めた役割分担以上を引き受け、馬車馬のように働いた。

このようななか、ある日、店の営業を終えた坂野惇子は、阪急電鉄の最終電車に乗り、自宅へ帰っていたのだが、余りの疲労で眠ってしまい、塚口の駅を乗り過ごしてしまった。気付けば、梅田にある阪急電鉄の車庫だった。

坂野惇子は、自宅に電話する事もできず、阪急電車の車庫で夜を明かし、翌朝に帰ると、心配した夫・坂野通夫が出迎えに来てくれていた。

ところが、夫・坂野通夫は、怒ると口よりも先に手が出る性格だったので、朝帰りをした坂野惇子に「強烈なパンチ」を加えたのである。

そもそも坂野家は藩士の家系で、坂野通夫は厳格な父・坂野兼通の元でガキ大将として育ち、海軍嘱託してジャカルタで戦争も経験しており、非常に厳しい人だった。

戦後の預金封鎖を受けて苦しい時期でも、坂野通夫は「我々は乞食では無い」と言い、親兄弟にも支援を求めることを禁じたし、生活に困っている坂野惇子に「働け」と言ったのも坂野通夫だった。

坂野通夫は海軍上がりで、非常に厳格な性格だったため、相手が女性でもビンタ程度ではすまないだろう。坂野惇子に「強烈なパンチ」を食らわせたというので、グーパンチで殴ったのものと思われる。

現在ならDV夫だと騒ぎになる事件だが、坂野惇子は、夫・坂野通夫に殴られた事を愛だ感じ、ますます夫・坂野通夫の事を愛していったのであった。

その他のエピソードは「べっぴんさんのモデル・坂野惇子の立志伝」をご覧ください。

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