日清食品の創業者・安藤百福(呉百福)の生涯を描く「安藤百福の立志伝」の「日清食品の安藤百福とチキンラーメンの商標権争い」です。
このページは「日清食品のチキンラーメンとミッチーブーム」からの続きです。
チキンラーメンの発売から4ヶ月後の昭和33年(1958年)12月20日、安藤百福(呉百福)は社名を「日清食品」へと変更し、ミッチーブームに便乗してチキンラーメンを大ヒットさせた。
チキンラーメンよりも前にインスタントラーメン(即席麺)は発売されていたが、インスタントラーメンが商業的に成功したのは、日清食品のチキンラーメンが初めてである。
こうしてチキンラーメンが成功すると、昭和34年(1959年)に福岡県の秦明堂(マルタイ)が棒ラーメン「即席マルタイラーメン」を、大阪の梅新製菓(エースコック)が「エースコソクの味付ラーメン」を発売した。
さらに、昭和35年(1960年)1月には乾麺大手の明星食品が「明星味付ラーメン」を販売してインスタントラーメンに参入したほか、続々とライバルが誕生した。昭和36年4月にはサンヨー食品と東洋水産もインスタントラーメンに参入している。
さて、昭和34年(1959年)、安藤百福(呉百福)は、倉庫を改造した田川工場でチキンラーメンを製造していたので、爆発的な需要に対して製造が追いついていなかった。
しかし、インスタントラーメンへと参入してきたライバル業者に対抗するため、高槻工場の完成を見越して広告宣伝を続けた。
ところが、品薄状態にもかかわらず、広告宣伝を続けたため、逆にインスタントラーメンへの参入業者を増やすことになり、昭和34年秋頃から、類似品や模倣品がだけでなく、「キチンラーメン」という名前で販売する偽物まで現れた。
しかも、悪質な物になると、チキンラーメンのデザインを盗み、チキンラーメンの横縞を縦縞に変えただけのコピー商品まで誕生していた。模造品はインスタントラーメンだけでなく、多岐の商品に渡り、模造品業者は1000社を超えていたという。
怒った安藤百福(呉百福)は、昭和35年1月に業界紙で小売店に対して模造品を扱わないように警告文を掲載する。
しかし、この段階では日清食品の安藤百福(呉百福)は「チキンラーメン」の商標を取得しておらず、不正競争防止法違反で模造品業者に対応せざるを得なかった。
チキンラーメンの袋は、友人の画家・竹内仙之助にデザインしてもらったもので、デザインの意匠権は取得していたことから、安藤百福(呉百福)は袋のデザインをコピーした模造品業者「スターマカロニ」に対する仮処分申請を大阪地裁に起こし、昭和35年3月に仮処分申請が認められた。
その一方で、安藤百福(呉百福)は、「チキンラーメン」の商標(周知商標)を確定させるため、昭和35年3月にはテレビ番組「イガグリくん」のCM提供を開始し、莫大な資金を投入して、広告宣伝に力を入れたのである。
しかし、高槻工場第1工場が完成しても、依然としてチキンラーメンは品薄状態が続いていたため、テレビCMは模造品業者を増やす結果となった。
こうした偽チキンラーメンや模造品は粗悪品ばかりだったので、安藤百福(呉百福)を悩ませるのだった。
このようななか、昭和35年(1960年)9月30日に特許庁が、日清食品が申請していた商標「チキンラーメン」の公告を決定した。
そこで、日清食品の安藤百福(呉百福)は、模造品業者を訴え、大阪地裁が模造品を製造していた日成食品や日華食品に対して商標使用禁止の仮処分を執行した。
これを受けて、安藤百福(呉百福)は、「チキンラーメン」という名前で販売している模造品業者12社を不正競争防止法違反で訴えたのである。
これに対して模造品業者12社(後に5社が加盟)が集まり、昭和35年11月に「全国チキンラーメン協会」を設立し、「チキンラーメンは、チキンライスと同じで、普通名詞に過ぎない」と主張し、「チキンラーメン」の商標に対して、特許庁に異議を申し立てた。
しかし、「チキンラーメン」の商標は公告決定の段階であり、商標公告はされていなかったため、「全国チキンラーメン協会」の異議申し立ては退けられた。
このため、「全国チキンラーメン協会」は、「チキンラーメン」の商標公告を待って再び異議申し立てを行うのだった。
一方、日清食品に訴えられていた日華食品が反訴しており、日華食品が日清食品よりも先に「チキンラーメン」の商標を申請していた事実が判明した。
このため、昭和35年11月28日に日華食品に対する商標使用禁止の仮処分が停止された。
そこで、日華食品は「全国チキンラーメン協会」からの応援を受け、日清食品の安藤百福(呉百福)を名誉毀損・営業妨害などで訴えたのである。
しかし、昭和36年(1961年)5月に「全国チキンラーメン協会」の異議申し立ては再び棄却され、日華食品も昭和36年7月に敗訴してしまう。
「全国チキンラーメン協会」は、これを不服として無効審判の申し立てを行う準備を進めていたが、特許庁は昭和36年9月20日に日清食品の「チキンラーメン」を商標として認め公告決定を下した。
こうして、日清食品の「チキンラーメン」が商標として確定したため、泥沼の商標争いに終止符が打たれ、「チキンラーメン」という名前を使った模造品は消滅し、様々な商品名のインスタントラーメンが誕生することになった。
ただし、一般名称の「チキン」と「ラーメン」を組み合わせただけで、商標になるのかという問題は残り、以降、11年間も「チキンラーメン」の商標の有効性が裁判で争われることになる。
また、安藤百福(呉百福)は苦労して「チキンラーメン」の商標を確定したが、20年後に日清食品の担当者が商標の更新を忘れてしまい、昭和56年(1981年)に「チキンラーメン」の商標を失ってしまう(当時の商標の登録期間は20年だった)。
そこで、森永製菓が、「チキンラーメン」の商標が消滅していることを確認して、「おっとっと・チキンラーメン味」を発売したところ、日清食品から待ったがかかり、訴訟へと発展するという事件も起きてる(この裁判は和解に終わった)。
ところで、安藤百福(呉百福)と「偽チキンラーメン」の商標争いに変更して、即席麺業界では即席麺の製造特許問題が勃発しており、泥沼の特許紛争を繰り広げていたのだった。
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