朝ドラ「べっぴんさん」のモデルとなる坂野惇子(佐々木惇子)の生涯を描いた「べっぴんさん-坂野惇子の立志伝」の第30話「阪急百貨店の子供ショーとファミリアの日本陶器事件」です。
これより前の話は、目次「べっぴんさん-坂野惇子の立志伝の目次」からご覧ください。
ファミリアが阪急百貨店に出店した年の昭和26年(1951年)9月に、日本はサンフランシスコ平和条約に調印。サンフランシスコ平和条約は翌年の昭和27年(1952年)4月に発効し、日本はGHQによる占領時代に終わりを迎えた。
大阪市・大阪新聞社・産業経済新聞社は、占領時代の終わりを記念して、昭和27年(1952年)3月20日から5月31日にかけて「講和記念・婦人とこども大博覧会」を開催した。
そして、大阪の阪急百貨店は、昭和27年(1952年)3月、大阪市などが主催する「講和記念婦人とこども大博覧会」に協賛して、阪急百貨店7階で「はんきゅう・こどもショー」を開催した。
「はんきゅう・こどもショー」は、新しい時代に合った理想的な育児法を発表する催し物で、ファミリアは「はんきゅう・こどもショー」で子供服を担当した。
このころ、日本の一般人が外国の育児用品を目にする機会が無かったので、坂野通夫が西洋のベビー用品を展示する事を妻・坂野惇子に提案した。
その結果、ファミリアは、アメリカ領事館の好意により、PX(米軍用の販売店)から西洋のベビー用品一式を借りる事ができ、「はんきゅう・こどもショー」に西洋のベビー用品を展示した。
ちょうど、日本では数年前に第1次ベビーブームが起きていたこともあり、西洋のベビー用品は大反響を呼び、「はんきゅう・こどもショー」は大成功を収め、同年9月に阪急百貨店7階で第2回・子供ショーが開催された。
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阪急百貨店で第2回・子供ショーが開催された翌月の昭和27年(1952年)10月、佐々木営業部(レナウン)に勤務していた坂野通夫が、坂野惇子や田村寛次郎から社長への就任を懇願される形で、ファミリアに入社し、取締役に就任した。
そして、翌年の昭和28年(1953年)3月に阪急百貨店7階で第3回・子供ショーが開催されることになった。
そこで、ファミリアの坂野惇子と田村光子は、第3回・子供ショーで展示する教育玩具を探すため、愛知県名古屋市を訪れた。
そのとき、坂野惇子と田村光子は、明治37年創業の日本陶器(ノリタケカンパニーリミテド)の前を通りかかかる。
坂野惇子と田村光子は、日本陶器(ノリタケカンパニーリミテド)に興味を引かれたので直ぐに見学を申し込み、社員に日本陶器の工場を案内してもらった。
すると、数人の社員が、出来上がった食器を割っていた。
坂野惇子が驚いて理由を尋ねると、社員は「あれは不良品だからです」と教えてくれた。
素人目には分からない程度でも、少しの傷やゆがみがあれば出荷しません。そのような不良品が市場に出回れば、これまで少しずつ積み上げてきたイメージが壊れてしまうからです。
日本陶器(ノリタケカンパニーリミテド)も、また、ファミリアと同様に「特別な品(べっぴんさん)」を作る企業だったのである。
当時の繊維問屋は製品に対して無責任だったので、坂野惇子と田村光子は、日本陶器(ノリタケカンパニーリミテド)の方針に感銘し、日本陶器に食器を特注することを思いついた。
そして、坂野惇子と田村光子は、可愛いデザインにすれば必ず売れると確信し、デザインは後で打ち合わせすることにして、その場で2万個の食器を発注して神戸へと帰ったのである。
これに驚いたのが、ファミリアに入社したばかりの坂野通夫だ。
いくら、坂野惇子ら女性が経営の素人とはいえ、この頃のファミリアにとって2万個というのは、桁違いの数字だったので、坂野通夫は激怒して坂野惇子と田村光子を叱りつけた。
しかし、坂野惇子と田村光子は、坂野通夫の激怒など全く気にせず、いかに良質な子供用の食器が必要かを話した。
当時は子供用の食器が普及しておらず、子供は大人用の食器で食べており、食事に苦労していたのだ。
しかし、それと会社の経営は別問題だ。坂野通夫は呆れたように言い聞かせたが、坂野惇子は強情で、終いには坂野惇子の「陶器なら売れ残っても腐らない」という言葉に押され、坂野通夫は渋々ながら、日本陶器へ2万個の発注を認めた。
こうして、ファミリアは昭和28年(1953年)から日本陶器(ノリタケカンパニーリミテド)に発注した子供用食器の販売を開始。日本陶器の食器はファミリアのロングセラーとなり、ファミリアは子供用食器の普及に大きく貢献した。
こうして、阪急百貨店で開催した子供ショーの成功により、ファミリアの名前は関東にまで轟いていき、ファミリアに東京進出のチャンスが舞い込むことに・・・。
坂野惇子の立志伝-第31話は、「べっぴんさん-坂野惇子の立志伝の目次」から選んでください。
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