松竹新喜劇のプリンスと呼ばれた喜劇俳優の藤山寛美(ふじやま・かんび)の家系図を紹介します。
スポンサードリンク
父親の藤山秋美(ふじやま・しゅうび/本名は久保田諒治)は新派「成美団」の二枚目俳優だったが、巡業先の名古屋で結核で倒れ、1年の入院生活をした後、昭和8年(1933年)に死去した。
藤山秋美は稲垣キミと結婚していたが、入籍はしていなかった。このため、藤山秋美は藤山寛美など5人の子供を儲けたが、戸籍上の父親ではない。
母親の稲垣キミは、三重県の出身である。母方の稲垣家は、鎌倉時代の武士・鎌倉権五郎景政の流れを汲む梶原氏の家系だという。
稲垣キミは、三重県を出て、大阪の新町でお茶屋「中糸」を経営していたときに、藤山秋美と出会って、5人の子供(3男2女)を儲けたが、入籍はしていなかった。
藤山秋美が倒れ、いよいよ危ないということので、慌てて入籍しようとしたのだが、入籍前に夫の藤山秋美が死去したため、正式には結婚していない。
藤山寛美(ふじやま・かんび/本名は稲垣完治)は、昭和4年(1929年)6月15日に大阪府大阪市西区で、俳優・藤山秋美の3男(5人兄弟の5番目/3男・2女)として生まれた。
上で紹介したように、両親が入籍する前に父親が死んだので、藤山寛美は父方の姓「久保田」を名乗ることができず、母方の「稲垣」姓となった。
藤山寛美は、京都の芸妓・高橋峰子と出会って結婚し、3人の娘を儲けた。
藤山寛美の子供は5人居り、全員娘である。ただし、子供のうち、長女・秀代と次女・美千代は妻の連れ子で、実子は3女・直美、4女・志代美、5女・美千留の3人である。
藤山寛美は、平成2年(1990年)1月ごろから体調が悪化し、同年3月に大阪市立大学に検査入院して肝硬変と診断され、そのまま入院して平成2年5月21日に死去した。61歳だった。
スポンサードリンク
次女の稲垣美千代は、歌手・美樹克彦と婚約していたが、藤山寛美の反対により婚約は解消となり、別の男性と結婚した。
藤山直美(ふじやま・なおみ/本名は稲垣直子)は、昭和33年(1958年)12月28日に大阪府大阪市で、藤山寛美の3女として生まれた。
藤山寛美の子供で唯一、役者の道に入った。初めは「藤山直子」という芸名を使っていたが、後に「藤山直美」と改めた。
5女の酒井美千留は、昭和37年(1962年)に大阪で生まれた。小唄白扇派の家元・白扇夕樹夫(本名は酒井雄司)と結婚して酒井姓となり、藤山扇治郎を生んだが、平成17年(2005年)1月に42歳という若さで死去した。
スポンサードリンク
藤山扇治郎(ふじやま・せんじろう/本名を酒井扇治郎)は、昭和62年(1987年)1月21日に京都府で生まれた。
父親は小唄白扇派の家元・白扇夕樹夫(本名は酒井雄司)で、母親は藤山寛美の5女・酒井美千留である。藤山寛美の孫にあたる。
藤山扇治郎は、6歳の時に初舞台を踏み、子役を経て役者となり、祖父の藤山寛美が在籍していた「松竹新喜劇」し、朝ドラ「まんぷく」に出演して注目を集めた。
藤山扇治郎は、元宝塚のトップスター北翔海莉(本名は吉野美智子)と結婚し、2020年9月12日に男児が生まれており、藤山寛美の血筋は現在も続いている。
スポンサードリンク
Copyright(C)2010年9月 All Rights Reserved.