花菱アチャコの家系図

漫才コンビ「エンタツ・アチャコ」の花菱アチャコの家系図を紹介します。

花菱アチャコの家系図

花菱アチャコの家系図

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花菱アチャコ

花菱アチャコ(本名は藤木徳郎)は、明治30年(1897年)2月14日に福井県勝山市で生まれ、漫才コンビ「エンタツアチャコ」として活躍し、昭和49年(1974年)7月25日に死去した。

両親

父親の藤木広吉は、光沢寺の次男だったため、仏壇屋「三浦」へ養子に出て、養子先の娘・藤木エンと結婚した。つまり、この養子先の娘・藤木エンが母親である。

1人目の妻

花菱アチャコの1人目の妻は、福田マサという髪結いの女性で、大正10年(1921年)に長男・五郎が誕生した。7年後に福田マサは死んで死別となる。入籍はしていなかった。

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2人目の妻

2人目の妻は、京都で小料理屋を営んでいた池田初代である。花菱アチャコは、1人目の妻・福田マサの死後、池田初代と結婚した。今度は入籍して正式な妻となった。

池田初代は大阪の阿倍野区で、先妻との間に出来た子供・五郎を引き取って育てたが、戦後は昭和25年頃から、花菱アチャコと別居状態だった。昭和48年(1973年)に死去した。

3人目の妻

3人目の妻は、宝塚歌劇団出身の志津原愛子である。志津原愛子は芝居「宮本武蔵」で花菱アチャコと共演したことを切っ掛けに、関係を持つようになったようだ。

花菱アチャコは、昭和30年に神奈川県川崎市に家を建て、志津原愛子を住まわせ、活動の拠点を東京へと移した。志津原愛子との間に娘が生まれているようだ。

花菱アチャコの孫

孫のアチャマゴ久利(藤木久利)がバンド「アチャコ一座」を組んで音楽活動をしている。

大阪のたこ焼き屋「アチャコ」の花菱アチャコの家族が経営している。おそらく、2番目の妻・池田初代がオープンした店だろう。現在は花菱チャコのひ孫が店を運営しているようだ。

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