仰げば尊し-樋熊迎一(寺尾聰)のモデルは中澤忠雄

TBSの吹奏楽部ドラマ「仰げば尊し」に登場する樋熊迎一(ひくま・こういち/寺尾聰)の実在のモデルについての紹介です。

仰げば尊しの樋熊迎一(寺尾聰)

樋熊迎一(ひくま・こういち/寺尾聰)は、プロのサックス奏者だったが、事故の後遺症で音楽から背を向け生活していた。

そのようななか、樋熊迎一(寺尾聰)は、荒廃した美崎高校で、夢を失った問題児らと出会い、問題児に吹奏楽を教えることになる。

プロのミュージシャンが教育現場に足を踏み入れることに反対する教師や父兄などの反発を受けるが、樋熊迎一(寺尾聰)は問題児らと共に新たな夢を見出し、満身創痍になりながらも吹奏楽の甲子園を目指して突き進んでいく。

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樋熊迎一(寺尾聰)の実在のモデル

樋熊迎一(寺尾聰)の実在のモデルは、神奈川県立野庭高校の吹奏楽部を全国1位へと導いた中澤忠雄です。

モデルとなった中澤忠雄は、神奈川県横浜市生まれ、奈良県天理市育ち。吹奏楽部の名門・天理高校を経て東京芸術大学の音楽部に進み、大学在学中に日本フィルハーモニー交響楽団に入団し、プロのチューバ奏者として活躍した。

しかし、中澤忠雄は交通事故の後遺症により、思うように音が出なくなり、オーケストラから引退。音楽から遠ざかっていたが、ピアノを教えて欲しいと頼まれた事を切っ掛けに、音楽教室を開催した。

音楽教室が成功し、忙しく働いていたが、野庭高校の吹奏楽部から要請を受け、野庭高校の吹奏楽部を指導することになる。

初めは3月までのつもりあったが、この子達に全国大会を見せてやりたいと思うようになり、4月には部活嘱託員となって正式に野庭高校・吹奏楽部を指導するようになる。

野庭高校は偏差値が低く、ガラの悪い学校で、吹奏楽部は前年の地区大会で惨敗という箸にも棒にもかからない状態だったが、ある事件を切っ掛けに吹奏楽部は一致団結し、わずか1年で野庭高校・吹奏楽部は関東大会で銀賞を獲得した。

関東大会に出場したことにより、全国大会が具体的な目標と成り、野庭高校・吹奏楽部は精神的に成長し、全国大会を目指してよりいっそう練習に励み、2年目で全国大会の金賞を取得した。

こうして、野庭高校・吹奏楽部は強豪校の仲間入りを果たしたが、学校側との対立、OBとの現役部員の対立、現役部員が事件を起こすなど様々な問題に直面。さらには、中澤忠雄は胃がんで倒れてしまう。

様々な問題により吹奏楽部は満身創痍になりながらも、全国一を目指して全国大会に臨み、平成7年(1995年)の全国大会で日本一に輝いた。

中澤忠雄は無名だった野庭高校の吹奏楽部をわずか2年で全国大会の金賞に導き、14年間で、全国大会で7度の金賞、1度の銀賞を得た。

そして、中澤忠雄は平成8年(1996年)3月に行われた野庭高校・吹奏楽部の期演奏会で最後の指揮を振るい、吹奏楽部から引退し、平成8年(1996年)8月18日に死去する。享年61だった。

さらに、中澤忠雄について詳しく知りたい方は『ドラマ「仰げば尊し」の実話「野庭高校・吹奏楽部」の立志伝』をご覧ください。

なお、その他の登場人物のモデルについては「仰げば尊し-キャストと実在のモデル」をご覧ください。

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