平川唯一がNHKを辞めた理由はGHQの通訳

朝ドラ「カムカムエヴリバディ」のモデル平川唯一(ひらかわ・ただいち)がNHKを辞めた理由を紹介します。

平川唯一がNHKを辞めた理由

岡山家の農村で生まれ育った平川唯一は、ABCの英語も分らないまま、16歳の時にアメリカに渡り、35歳の時にアメリカで日本人留学生・滝田ヨネと結婚した。

そして、36歳の時に20年ぶりに日本へ帰国して、NHK国際放送のチーフアナウンサーとなり、戦時中は外国向け放送を担当し、終戦時には玉音放送を翻訳して朗読した。

戦後、GHQが横浜税関ビルを接収したとき、NHKに通訳を設置するように命じたが、NHK側は通訳を嫌がって誰も通訳になろうとしない。

そこで、平川唯一がチーフアナウンサーとしての責任感から通訳を引き受け、放送室の設置やマッカーサーの放送に関わった。

まもなく、GHQのハリス大佐は、もう少し本格的な放送設備が必要だと言い、NHKの接収を決定し、通訳の平川唯一に案内を命じた。

そこで、平川唯一はハリス大佐をNHKへ案内するのだが、NHKの幹部は接収を避けるため会議室に閉じこもって話し合いをしており、ハリス大佐がドアを開けるように命じても、ドアをを開けなかった。

ハリス大佐が拳銃を取り出して、開かなければ撃つというので、平川唯一が通訳すると、NHKの幹部はドアを開けたが、通訳とは言え、NHKの接収を先導したことから、NHKの幹部から怨まれてしまう。

すると、平川唯一は釈明することなく、これまでNHKで働けた礼を言い、身を引いてNHKを辞めたのだった。

それから間もなく、NHKの方から英会話番組を担当して欲しいという依頼があり、平川唯一はNHKで英会話番組を開始した。

そして、童謡「証城寺の狸囃子」の替え歌「カム・カム・エブリバディ」を作詞して英会話番組で流したところ、爆発的な人気を呼び、英会話番組は「カムカム英語」と呼ばれるようになったのである。

参考資料:平川唯一の立志伝

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