平川唯一のアメリカの小学校と高校時代

NHKの朝ドラ「ムカムエヴリバディ」のモデル平川唯一のアメリカ時代のエピソードを紹介します。

渡米の経緯

平川唯一の父・平川定二郎は農業だけでは将来がないと思い、何かの商売に手を出して失敗し、借金を返済するために、アメリカへ出稼ぎに出たのだが、一向に帰って来なかった。

津川尋常高等小学校高等科を卒業して家業の農業に従事していた平川唯一は、母親も寂しいだろうと思い、アメリカの父親に帰国を促す手紙を書いたところ、「旅費くらいは出してあげるから、アメリカに来なさい」という返事が来た。

そこで、平川唯一は英語など分らなかったが、17歳の時に兄と共にアメリカへ渡り、父親と合流すると、鉄道の線路工夫の仕事に従事した。

線路工夫の仕事は給料が良く、過酷な仕事だったが、岡山で農業をしているときよりはマシだった。

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英語の重要性を痛感

渡米してから1年ほどすると、父・平川定二郎が帰国する事を決めたので、平川唯一は渡米した当初の目的を果たすことが出来たが、せっかくアメリカへ来たのだから、このまま帰国するのは勿体ないと考え、父親と別れてアメリカに残ることにした。

さて、アメリカに残った平川唯一は、シアトルの移民・古屋政次郎の商店で働いていたが、日本人向け商店と言えども、アメリカ人も来るので、英語を話せないと、仕事にならない事を痛感した。

そこで、平川唯一は古屋政次郎の商店を辞め、ハモンド家のスクールボーイ(書生)となり、週に
ドル50セントの給料を貰いながら、小学校(スーウェド・スクール)に通い始めのである。

こうして、平川唯一は小学1年生となり、6歳の子供達と机を並べて、本格的に英語の勉強を開始する。

このとき、子供達と遊びながら英語を学んだ事が、後の英会話番組「カムカム英語」へと繋がることになるのだった。

さて、アメリカでは反日運動の気運が高まっていたが、幸いなことに良き担任と良き校長に恵まれ、平川唯一は差別的な扱いを受けること無く、次々と飛び級で進級し、8年制の小学校を3年で卒業した。

ただ、1年で小学校を卒業する日本人もいたので、小学校を3年で卒業するというのは、特別早いことではなく、標準的か、少し遅いくらいだったようだ。

雄弁大会

8年制の小学校を卒業した平川唯一は、アメリカ人と同じレベルの日常英会話は話せるようになっていたが、高校への進学を勧められ、ブロードウェイ・ハイスクールへと進学した。

高校へ進学した平川唯一は、恒例行事の「雄弁大会」に出場する事を目標に勉強に励み、高校4年生の時に「雄弁大会」に出場した。

平川唯一は、クラスでも1位2位を争う成績を取るほど英語が上達しており、英語を母国語として話す人たちを押しのけて「雄弁大会」の決勝へと進出した。優勝こそ逃したものの、審査員の1人から1位に投票され、十分に満足する結果だった。

こうして、平川唯一は優秀な成績でブロードウェイ・ハイスクールを卒業すると、ワシントン大学へと進学するのだった。

平川唯一はワシントン大学で演劇を学ぶ」へ続く。

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