カムカム英語の平川唯一が校長先生に叱られた理由

NHKの朝ドラ「カムカムエヴリバディ」のモデル平川唯一(ひらかわ・ただいち)がアメリカ時代に小学校の校長に叱られたときの実話を紹介する。

平川唯一が小学校の校長に叱られた理由

平川唯一は、アメリカへ出稼ぎに行ったきり、戻ってこない父親に、帰ってくるように手紙を出したところ、反対に「交通費くらいは出してあげるので、アメリカに来なさい」という返事が返ってきた。

そこで、平川唯一は大正7年、16歳のとき、英語もできないまま、兄・平川寿美雄と一緒にアメリカへと渡るのだった。

1年後、父親は日本へ帰ることにしたが、平川唯一はせっかくアメリカに来たので、アメリカに残り、日本人向けの商店で働いていた。

しかし、日本人向けの店といえども、アメリカ人も買いに来るので、英語ができないと仕事に支障が出来る。

そこで、平川唯一は思い切って店を止め、17歳でアメリカの小学校に入学したのである。

こうして小学生になった平川唯一は、小さな子供達と一緒に勉強をするのだが、日本の尋常小学校の高等科を卒業しているので、英語以外の勉強は朝飯前である。

このため、上級生から算数の問題を解くように頼まれたので、休み時間に算数の問題を解いていると、校長先生から優しく注意された。

そこで、今度は隠れて問題を解いていたのだが、校長先生に見つかり、今度は優しい校長先生から激しく叱られ、首根っこを掴まれて、校長室へと連れて行かれた。

平川唯一は小学校をクビになるのではないかと怯えたが、校長先生は優しく「休み時間まで勉強をしたい気持ちは分るが、学校ではよく学び、よく遊ぶのだ。みんなが楽しく遊んでいるときは、みんなと遊ばなければいけない」と諭した。

その後、平川唯一は、校長先生の計らいもあって、飛び級で進級していき、8年で卒業する小学校を3年で卒業したのだった。

こうしたアメリカでの小学校の生活が平川唯一に大きな影響を与えており、後にNHKの英会話番組「カムカム英語」を開始するときに大いに役立つのだった。

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