平川唯一(さだまさし)のモデル

NHKの朝ドラ「カムカムエヴリバディ」に登場する平川唯一(さだまさし)のモデルを解説します。

異例の実名登場

NHKの朝ドラに登場する人物は、通常、架空の場合が多いが、「カムカムエヴリバディ」でさだまさしが演じる平川唯一は実名での登場となる。

実名で登場するのは異例中の異例で、その理由は関係者によると「物語のテーマに大きく関わる人物で、平川さんの功績を現在に伝える意図もある」という。

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モデルとなった平川唯一の解説

平川唯一は明治35年(1902年)2月13日に岡山県上房郡津川村(岡山県高梁市津川町)で、農家の次男として生まれ、津川尋常高等小学校高等科を卒業して家業の農業を手伝っていた。

しかし、アメリカへ出稼ぎに出ていた父親を呼び戻すために手紙を書いたところ、逆に父親から「交通費くらいは出してあげるので、アメリカに来なさい」と誘われた。

そこで、平川唯一は16歳の時、ABCも分らないまま、兄・平川寿美雄と共にアメリカに渡り、父親と共にアメリカで働いた。

やがて、平川唯一は日本人向け商店で働くようになるが、英語できないと仕事に支障が出る事を悟り、商店を辞めて、アメリカ人家庭のスクールボーイ(書生)となり、17歳の時にアメリカの小学校へ入学した。

そして、8年制の小学校を3年で卒業。高校時代には英語の弁論大会に出場して3位に選ばれる程に英語が上達しており、高校卒業後はワシントン大学へ進学し、ワシントン大学を首席で卒業した。

やがて、平川唯一は昭和11年にアメリカで日本人留学生・滝田ヨネと結婚し、昭和12年に長男が誕生すると、妻となった滝田ヨネのビザの問題もあり、帰国した。

帰国後は、NHK国際放送のチーフアナウンサーとなり、外国向けのニュースを担当し、終戦時には玉音放送を英訳して朗読した。

カムカム英語

戦後、平川唯一はGHQの通訳を務めていたのだが、NHKがGHQに接収されることになり、NHKの上層部の反感を買ったため、NHKを退職した。

しかし、間もなく、NHKからラジオの英会話番組の担当を打診され、英会話番組を引き受けた。

平川唯一は、戦後の暗い雰囲気を少しでも明るくしようと思い、動揺「証城寺の狸囃子」の替え歌で、テーマ曲「カム・カム・エブリバディ」を作り、英会話番組で放送したところ、大ヒットした。

こうして、平川唯一の英会話講座は「カムカム英語」と呼ばれるようになるのだった。

カムカム英語の終焉

英会話番組が終了した理由は諸説あるのだが、国民的番組となった「カムカム英語」は昭和26年2月に終了した(放送期間は5年)。

その後、平川唯一は民放へ移って英会話番組を続けるのだが、英会話ブームの終焉なども重なり、聴取率は低迷し、昭和30年に番組は打ち切りとなった。

参考文献:「平川唯一(ひらかわ・ただいち)の立志伝

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