NHKの朝ドラ「わろてんか」に登場する伊能栞(いのう・しおり/高橋一生)の実在のモデルをネタバレします。
NHKの朝ドラ「伊能栞(いのう・しおり/高橋一生)は、大阪にある「伊能薬品」の社長の次男だが、正妻の子ではなく、愛人・志乃(銀粉蝶)との間に出来た子で、東京で生まれ育った。
しかし、中学の時に、跡継ぎの保険として伊能家に引き取られ、以降は大阪の伊能家で育ち、神戸の貿易会社を任されていた。
ある日、薬問屋「藤岡屋」の藤岡儀兵衛(遠藤憲一)が業務提携を求めて、「伊能薬品」に縁談を持ちこみ、伊能栞(高橋一生)は藤岡てん(葵わかな)と見合いすることになった。
しかし、伊能栞(高橋一生)は、藤岡てん(葵わかな)が北村藤吉(松坂桃李)に恋をしている事を知るのであった。
そのようななか、薬問屋「藤岡屋」の倉庫が火事に遭い、輸入した西洋薬が全焼してしまい、倒産の危機を迎える。
藤岡儀兵衛(遠藤憲一)は、銀行からの融資を得るため、火事のことを隠して、伊能栞(高橋一生)との結婚を急ぐが、火事のことが「伊能薬品」に知られてしまい、縁談を断られてしまう。
さらに、薬問屋「藤岡屋」の倒産の危機を知った債権者が押し寄せ、対応に当たった藤岡新一(千葉雄大)が激務に耐えきれずに倒れ、そのまま死去してしまう。
藤岡てん(葵わかな)は縁談を断られていたが、薬問屋「藤岡屋」を救うため、伊能栞(高橋一生)に結婚を申し込む。
このとき、藤岡てん(葵わかな)は、藤岡新一(千葉雄大)が最後まで研究していた「輸入に頼らず、日本で薬を製造する方法」という論文を伊能栞(高橋一生)に送っていた。
その論文を読んだ伊能栞(高橋一生)は、一緒に藤岡新一(千葉雄大)の事業に賭けてみたいと言い、薬問屋「藤岡屋」に出資して、倒産の危機を救うのだった。
さて、伊能栞(高橋一生)は日本の文化や芸能に強い関心を持っており、製薬会社の方は人に任せて、映画会社「伊能活動写真」を設立し、映画の制作を開始する。
一方、藤岡てん(葵わかな)は北村藤吉(松坂桃李)と結婚して、寄席「風鳥亭」の経営を開始していた。
伊能栞(高橋一生)はジャンルこそ違えど、同じ興行の世界で頑張る者同士として、北村藤吉(松坂桃李)と意見をぶつけ合い、意気投合した。困っている北村藤吉(松坂桃李)に、大物落語家・喜楽亭文鳥(笹野高史)を紹介したこともあった。
そのようななか、伊能栞(高橋一生)の父が「伊能薬品」の社長を長男・伊能光司郎に譲る。これを機に、伊能家で、お家騒動が勃発する。
伊能栞(高橋一生)は次男だが、愛人(妾)・志乃(銀粉蝶)が産んだ子で、あくまでも跡継ぎの保険であり、長男・伊能光司郎が「伊能薬品」を継いだので、もう用済みだった。
伊能栞(高橋一生)は、任されていた製薬会社を兄・伊能光司郎に奪われてしまうが、映画会社「伊能活動写真」だけは何とか守り抜いた。
そして、伊能栞(高橋一生)は北村藤吉(松坂桃李)から刺激を受け、東京から戻ってきた女義太夫の秦野リリコ(広瀬アリス)を起用して映画を制作し、映画界に革命を起こそうとするが、自由奔放の秦野リリコ(広瀬アリス)に翻弄されるのであった。
そのようななか、関東大震災が発生し、東京に行っていたキース(大野拓朗)が記憶喪失なった女性・志乃(銀粉蝶)を連れ帰る。志乃(銀粉蝶)は、伊能栞(高橋一生)の実母である。
伊能栞(高橋一生)は、自分のことをお金で伊能家に売った母・志乃(銀粉蝶)を恨んでいたが、自分の名前に込められた意味を知り、母・志乃(銀粉蝶)を許すのだった。
さて、北村藤吉(松坂桃李)が脳卒中で死ぬと、伊能栞(高橋一生)は北村藤吉(松坂桃李)と業務提携の約束をしていたことから、北村笑店の役員に就任した。
そして、藤岡てん(葵わかな)から秦野リリコ(広瀬アリス)を漫才師にしたいと相談されると、伊能栞(高橋一生)は秦野リリコ(広瀬アリス)を北村笑店へと移籍させ、漫才の相方として川上四郎(松尾諭)を紹介した。
さらに、北村隼也(成田凌)はアメリカの「マーチン・ショウ」の代理人ジェイソン・ハミルの偽物に手付金を騙されてしまうが、伊能栞(高橋一生)は本物のジェイソン・ハミルと連絡を取り、藤岡てん(葵わかな)と共同で「マーチン・ショウ」を招聘し、東京で開催して成功させるのであった。
その後、戦地慰問団「わろてんか隊」を成功させた武井風太(濱田岳)の要請で、映画「キースのあきれた恋道中」を撮影するが、検閲に引っかかり、キスを連想させるシーンの削除を求められた。
しかし、伊能栞(高橋一生)は、そのシーンをカットすれば別の映画になってしまうと言い、信念を貫いて映画を上映中止とした。
ところが、会社に大きな損害を与えたため、伊能栞(高橋一生)は責任を追及され、社長を辞任する。
その後、伊能栞(高橋一生)は藤岡てん(葵わかな)に招かれて北村笑店に入り、映画「お笑い忠臣蔵」を撮影することになったが、敵対する新世紀キネマの陰謀により、映画「お笑い忠臣蔵」の台本が検閲で引っかかってしまう。
そこで、伊能栞(高橋一生)は自分が居るかぎり、検閲は通らないと考え、辞表を提出すると、マーチン・ショウを頼ってアメリカに渡るのであった。
戦後、伊能栞(高橋一生)は、空襲で壊滅的な被害を受けた藤岡てん(葵わかな)を全力で支援して北村笑店の復旧を手伝うのだった。
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朝ドラ「わろてんか」に登場する伊能栞(高橋一生)の実在のモデルは、神戸で宝塚少女歌劇団を創立し、映画の「東宝(東京宝塚)」を設立した阪急グループの小林一三です。
しかしながら、小林一三と吉本興業の創業者・吉本せい(林せい)がお見合いをした様な史実は無く、恋愛面での接点はありません。
このため、小林一三の立志伝を紹介しても朝ドラ「わろてんか」の参考にならないと思うので、朝ドラ「わろてんか」への理解が深まるように、実話の「松竹」「東宝(阪急グループ)」「吉本興業」の関係を解説しておきます。
まず、京都の大谷竹次郎は、明治28年(1895年)に京都の阪井座を買収して寄席の経営に乗り出すと、瞬く間に京都の演劇界を制覇して、大阪へと進出し、大阪・道頓堀の5座を手中に収め、明治35年(1902年)に兄・白井松次郎と共に「松竹」を設立した。
そして、松竹は大阪から東京へと進出し、関東大震災で大打撃を受けたが、このときに東京の小屋を一気に手に入れ、盤石なる基盤を築いた。
一方、家業の荒物問屋「箸吉」を廃業した吉本せい(林せい)と吉本泰三(吉本吉兵衛)の夫婦は、明治45年(1912年)4月1日に天満天神裏にある三流の寄席「第二文芸館」の経営権を取得して寄席の経営に乗り出し、大正2年(1913年)に「吉本興行部(吉本興業)」を設立した。
吉本興業は、浪速落語反対派の岡田政太郎と提携し、「低価格戦略」「寄席のフランチャイズ化」「芸人をお金で縛る」という戦略で勢力を拡大し、落語の「浪速派」「三友派」を傘下に収め、大正11年(1922年)に大阪の演芸界を統一して、吉本王国を築いた。
他方、小林一三は山梨県の出身で、三井銀行で働いていた時に、島徳蔵や岩下清周が設t立する証券会社の支配人として招かれたが、不況の影響で証券会社の設立が立ち消えとなり、失業してしまう。
その後、小林一三は箕面有馬電気鉄道(阪急電鉄)の経営に加わって実質的経営者となり、大正3年(1914年)4月に、宝塚新温泉の再利用として「宝塚少女歌劇団」を創立してエンターテイメント産業に進出した。
すると、宝塚少女歌劇団の大成功を受け、全国に少女歌劇ブームが到来する。松竹の白井松次郎も「宝塚少女歌劇団」をマネして「松竹楽劇部」を設立したため、小林一三は松竹に激怒したという。
戦後に「ブギの女王」として活躍する笠置シヅ子は、「宝塚少女歌劇団」が不合格だったため、「松竹楽劇部」に頼み込んで入団している。
また、吉本興業も、少女歌劇ブームを受け、大正15年に「花月乙女演舞団」を結成している。
その後、小林一三が宝塚を東京に進出させ、昭和7年に「東京宝塚劇場」を設立して、映画界にも進出すると、ことあるごとに松竹と対立することになる。
そうしたなか、小林一三は、映画配給会社「松竹洋画興行社」と対立。洋画の輸入が制限されることもあり、小林一三は映画制作会社「PLC」と「JOスタジオ」と共同出資で、昭和11年に「東宝映画配給株式会社(東宝の前身)」を設立し、映画の自主配給網を構築していった。
この一環で、小林一三は、昭和11年11月18日に吉本興業と提携し、芸人の引き抜き禁止や、吉本芸人を東京宝塚劇場の映画に出演させる取り決めが交わした。正式に東宝と吉本興業が仕事で関係するのは、この提携が初めてである。
吉本興業は、日活と提携して昭和9年10月上映の映画「佐渡情話」をヒットさせて以降、続々とヒットを出し、昭和11年1月にはPLCと提携してエンタツ・アチャコの主演映画「あきれた連中」をヒットさせており、東宝と吉本興業の接近は脅威だった。
そこで、東宝の台頭を脅威に感じた松竹・日活・新興・大都は、系列の映画館から東宝の映画を閉め出し、東宝包囲網を敷く。後に極東・全勝も東宝包囲網に加わり、東宝を苦しめた。
このようななか、小林一三は突如として東京宝塚劇場の社長を辞任するが、懇願されて相談役として残り、東宝包囲網に対抗するため「東宝映画配給」「PLC」「JOスタジオ」を合併し、昭和12年に東宝映画株式会社(東宝)を設立した。
さらに、東宝は松竹から二枚目俳優の林長二郎(長谷川一夫)などを引き抜き、東宝と松竹の関係は悪化の一途をたどる。
さて、時節の影響で、洋画の輸入が制限されたり、映画の上映が3時間に制限されたりしており、映画館では映画の代わりになる演芸の重要性が増していた。
そのようななか、吉本興業の林正之助が、小林一三の要請により、東京宝塚劇場の取締役に就任し、吉本興業と東宝は関係を深めた。
これを脅威に覚えた松竹は、松竹系の「新興キネマ」に演芸部「新興キネマ演芸部」を設立して演芸界に進出するのだが、この演芸部の設立に際し、大金を投じて吉本興業から芸人を引き抜いたのである。
新興キネマは吉本興業の10倍の給料を提示しており、吉本興業の「ミスワカナ・玉松一郎」「平和ラッパ・日佐丸」「松葉家奴・松葉家喜久奴」などが松竹へ移った。
吉本興業の林正之助が気付いたときには、「ミスワカナ・玉松一郎」らが引き抜かれており、花菱アチャコまで松竹から大金を受け取っていた。
林正之助は花菱アチャコを説得して金を返させ、花菱アチャコの流出は食い止めたが、吉本興業は相当なダメージを受けてしまう。
また、これまで、吉本興業は、大阪の演芸界を独占していたので、芸人の給料を低く押えていたが、松竹の演芸界進出により、吉本興業による演芸界の独占が崩れたので、吉本興業は芸人の給料を上げることを余儀なくされた。
さて、吉本興業も芸人を引き抜かれて黙ってはおらず、フォルムの差し止めを求めて提訴するなどして、松竹に反撃を開始する。
吉本興業と松竹の争いは、世間を騒がせたが、最終的に大阪府警・京都府警が、演芸界に良い影響を与えないとして調停に乗りだし、吉本興業は芸人の移籍を認め、松竹は芸人の育成料を吉本興業に支払うということで、和解に至った。
その後は純粋な興行での勝負となり、松竹系の「新興キネマ演芸部」は「ミスワカナ・玉松一郎」など大看板を有して精力的に興行を展開したが、全体的な層は薄いため、層の厚い吉本興業に迎撃されて潰れた。
しかし、松竹の「新興演芸部」との争いに勝利した吉本興業も、戦争で全ての寄席を失ってしまうのであった。
また、朝ドラ「わろてんか」の伊能栞(高橋一生)はマーチン・ショウウを頼ってアメリカへ渡って、アメリカで映画関係の仕事をしているが、モデルの小林一三は昭和15年に商工大臣に就任しているので、そのような事実は無い。
さて、吉本せいと小林一三の個人レベルの関係は、ほとんど聞いたことが無いが、お互いに認め合っていたのは事実のようで、小林一三は鉄道を敷くときに吉本せいに意見を求めたと言われている。
一方、吉本せいは、辻阪信次郎が逮捕された脱税事件「辻阪事件」に連座して、逮捕された時に遺書を書いており、吉本せいの死後、吉本家と林家が揉めたとき、吉本家が頼ったのが小林一三で、小林一三は解決のために文部大臣の清瀬一郎に仲介を依頼し、もめ事を解決している。
なお、朝ドラ「わろてんか」の登場人物のモデルや実話のネタバレは「わろてんか-登場人物の実在モデル」をご覧ください。
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